昭和五十年十月二日付の『静岡新聞』には、浜松市自治会連合会が市当局へ市立歯科診療所の設立を口頭で申し入れたという記事が見える。市内には歯科医が百十三軒、歯科医師が百五十人いるというが、その診療が基本的には予約制を実施しているために、いくつかの不都合が指摘されている。まず、幼児の歯痛の応急措置が間に合わないこと、小中学生のクラブ活動後の受診が時間外にかかることが多く不便なこと、また、高齢者の義歯についても深刻な状況を生んでいることである。すなわち、義歯治療が保険の適用外に相当したとき、その高額な治療費を負担できにくいということである。
右の十月二日付記事には、資料を添えて市長に陳情するとあり、同年十二月六日に至って、浜松市自治会連合会は市と市議会宛てに歯科医療施設の設置について陳情している。これは『浜松市歯科医師会沿革史』(平成六年一月八日刊)にその概要が転載されている。
浜松市では昭和四十九年十二月、昭和六十年を目標とする第二次浜松市総合計画基本構想が浜松市議会の定例会で議決され、同五十年四月、これに基づき庶務を担当する企画調整部企画課から医療関係機関に保健衛生の向上についての協力要請があった。
【浜松市歯科医師会】
浜松市歯科医師会においては昭和五十年四月、地域社会に密着した歯科医師の在り方について討議する地域医療対策審議会を設立した。その検討結果から、①口腔を通じて子供の正しい教育、②疾病治療、③予防、④健康増進、という四本柱を立てた。同五十年五月、浜松市保健医療協議会の準備会が発足した。
浜松市歯科医師会は右の地域医療対策審議会において口腔保健医療センターの機能および施設の概要と基本構想を取りまとめ(浜松方式)、浜松市保健医療協議会準備会に提示した。
浜松市歯科医師会が策定した原案は、①予防対策、②医療対策、③歯科医療関係者の養成施設の設立、というものであり、公設公営の口腔保健医療センターを建設するというものであった。
他方、昭和五十一年四月に発足した浜松市保健医療協議会を構成する三専門部会(三師会―医師会・歯科医師会・薬剤師会)と浜松市当局とが協議し、昭和五十三年四月、浜松市保健所の東側の土地に、総合健康診断センター、母子保健センター、口腔保健医療センター、以下、歯科衛生士養成所、医師会准看護婦養成所、医薬品管理センターを含む、浜松市総合保健センターという構想に結実し、昭和五十三年十一月、浜松市保健医療協議会から浜松市長に答申されている。