しかしながら、浜松市総合保健センター構想が実現されるまでには紆余曲折があった。母子保健センターと総合健康診断センターが抜け、口腔保健医療センター、歯科衛生士養成所、准看護婦養成所、医薬品管理センターが、この建造物に収まることとなった。
浜松市歯科医師会の審議結果と、先の自治会連合会の要望とが実現に向かうのは、この後六年間を要している。昭和五十六年三月四日付『静岡新聞』に、「浜松市は、同市鴨江二丁目の市有地に、来年度から口腔保健医療センターを建設する」という記事が報じられたことに現れている。かくも相当の時間が経過したのは、恐らく市当局の基本設計から抜ける機関があったこととか、准看護婦養成所や歯科衛生士養成所の設置者を巡って、協議時間が必要であったためではなかろうか。
昭和五十六年四月、浜松市当局と三師会とは「浜松市口腔保健医療センターとこれに併設する歯科医師会立歯科衛生士養成施設・医師会立准看護婦養成施設・薬剤師会立医薬品情報管理センターの建設についての覚書」をかわし、締結した。