はじめ浜松市歯科医師会の原案では歯科衛生士養成所も口腔保健医療センター同様に、公設公営を主張していたが、浜松市当局は市財政の状況を踏まえ、また、浜松市医師会の准看護婦養成所が会設会営であることとの兼ね合いから、公設公営は難しいという回答を発している。
【浜松歯科衛生士専門学校】
この市長部局の最終結論に直面して浜松市歯科医師会は、昭和五十五年八月、臨時総会を開き、歯科衛生士養成所は会設会営やむなしと決定した。次に歯科医師会は組織内部に社団法人浜松市歯科医師会立浜松歯科衛生士専門学校及び浜松市口腔保健医療センター運営準備委員会(学校部会とセンター部会)を発足させ、対外的には財源確保のための資金計画を立て、静岡県、静岡県歯科医師会、浜松市、日本小型自動車振興会、浜名湖競艇企業団からの助成金を確保し、また、浜松市歯科医師会の全会員の協力により浜松歯科衛生士専門学校設立基金を新設している。
他方、専任教員や非常勤講師等の教員人事(七十三名)、臨床実習施設の確保(十九診療所)を内定させ、昭和五十七年六月、静岡県に浜松歯科衛生士専門学校設置認可申請書を提出し、同年九月、厚生大臣に歯科衛生士養成所指定申請書を提出した。現地検査を経て昭和五十七年十二月二十五日付で静岡県知事から「設置認可書」、昭和五十七年十二月二十五日付で厚生大臣から「養成所の指定」を受けている。
入学試験は昭和五十八年二月十九・二十日の両日に実施(応募者七十六名)し、二月二十八日、四十二名の合格者を発表した。同校は同年四月八日に開校・入学式を迎え、初年度の入学生は四十名であった。
【水川秀海】
右に見た浜松市歯科医師会における地域医療対策審議会の審議経過と、理念の一つの具現化である浜松歯科衛生士専門学校の設立については、『浜松市歯科医師会沿革史』のほかに、水川秀海副校長(落成式式典委員会委員)が、その落成式において述べた「浜松歯科衛生士専門学校設立経過報告」に基づくものである。