【尊厳死法】
医療行為とは患者の病を治療すること、生命維持を大前提にするものである。他方、患者は精神的身体的苦痛から逃れて尊厳をもって死を迎えることが出来るか、また、家族や友人は患者を助け、その死を受け入れることが出来るか、この狭間にあって病院職員はいかに対応するのか。これらが議論の根底にあろうか。終末期における延命措置をめぐる社会的了解が未成立の時点では、「この試みは安楽死の問題に似て」、「まかり間違えば非人道的な問題として世の中に誤り伝えられる危険性もある」と、言及している。医師の社会的免責が確立していないことを暗示している。後にこの議論は死を迎える人格の「尊厳死法」の制定を問う動向の一論点となるものである。
また、ホスピス病棟と総合病院との施設利用の構造的位置関係では、相互の業務遂行に困難を来す可能性があるという指摘も記されている。
【聖隷ホスピス】
かくて昭和五十四年六月には聖隷ホスピス準備室が開設され、同五十五年五月、創立五十周年記念式典が挙行され、同五十六年四月には聖隷三方原病院一般病棟の中でホスピス活動が開始された。また、その十一月には結核病棟の一部を改装して「第15病棟」としてホスピス活動を発展させ、さらに翌五十七年十一月にはこの病棟を「ホスピス病棟」と改称した。この一事は聖隷三方原病院の前身が結核治療から出発していることを想起すれば、まさに社会における疾病構造の変化を象徴するものと言えよう。
昭和五十八年二月五日付の『静岡新聞』には、「聖隷ホスピスの歩み語る 長谷川保会長」という創設時を回顧する記事がある。そこには現代医療の顕在化した問題点、すなわち、延命措置、集中治療室での酸素吸入、患者と家族との隔離というような医療行為への反発であり、死にゆく者を看取る牧師の主張が紹介されている。これに対して長谷川保は「聖隷では最後まで治療を行う。患者が生きたいと思う限り」という考えから、日進月歩のガン治療技術を駆使することをいい、また、プロンプトンカプセルという鎮痛ドリンク剤を投与することによって身体的苦痛を取り去ることができると確信したという。