問題は財政的赤字がかさむことにある。これは現今の医療保険における点数制下では必然であって、現行制度では病院経営の採算は投薬と治療とから成り立つという問題点があり、ホスピス立ち上げ時には医局からの逡巡があったという。これを補うべくホスピス協力会を結成し、募金活動をしているという。長谷川保はかつて結核患者救済の活動は無一文から始めたことに言及し、意に介さないという記事である。
【原義雄】
『新編史料編六』 八医療 史料9には昭和六十年六月三十日発行(『聖隷ホスピス』第8号)の「聖隷ホスピスの歩みと考え方」が掲載されている。これは聖隷ホスピス所長の原義雄によって、(1)ホスピスとは、(2)聖隷ホスピスの今日まで四年三カ月の歩み、(3)当ホスピスと宗教、(4)当ホスピスでの平均入院期間、(5)当ホスピスにおける患者の病名自覚率、という論点が詳述されている。原義雄は都立荏原病院長(昭和大学医学部客員教授)から聖隷三方原病院顧問、化学療法科長兼ホスピス所長として招聘された医師である。昭和六十年四月四日付の『静岡新聞』には、原所長による「検査や治療より苦痛の除去に重点を置く医療は経営的には赤字を避けられない。しかし二百人近くの患者さんに接しホスピスの存在意義をますます強く感じている」という発言が記されている。これは先の五つの論点を補い、病院経営の観点から見る苦衷を述べたものであろう。