浜松市立中央図書館の郷土資料室には、地元浜松在住の人々によって自費出版された数多くの詩歌集が保存されている。これらの奥付を見るとその多くが昭和四十年代以降の刊行となっている。その理由としては一つには日本が高度経済成長期に差し掛かり、十分とは言えないまでも人々の生活に精神的・経済的なゆとりが生まれてきたということがあげられるのではなかろうか。著者たちの職業は、元教員・企業主・農業従事者・元役人・看護師・主婦・サラリーマンなど多種多様である。その文芸との関わり方も様々で、若い頃からその道に入った人もあれば、退職後に成人学校などに通って始めたというような人もいる。ほとんどは、本人の編集によるものだが、中には遺稿を遺族がまとめたというようなものも見受けられる。再版されることはまずなかったと想像されるが、そうした中にあってやや特殊なケースとして、短期間に三版まで刊行された歌集があるので取り上げておきたい。集の名前は『ルソンの小石』。初版四百部が刊行されたのは、昭和五十年三月のことである。著者は浜松市内在住の栩木(とちぎ)淑子。初版が刊行された時、静岡新聞(四月十四日付)は次のように報じている。
栩木さんは開業医の一人娘として育ち、浜松高女から東京女高師に進み昭和十年結婚、東大医学部勤務だったご主人は十三年応召、十五年帰還、十六年に軍医として再応召、二十年八月ルソン島で戦病死された。その間二度の空襲で焼け出され、老祖母と三人の子供を抱えて頑張り、未亡人会運営の布橋幼稚園長として幼児教育に打ち込んだ。作歌は女学校時代からで昭和九年「水甕」に入社、終戦後の数年を除いてずっと作歌活動を続けている。
水甕叢書『ルソンの小石』には娘時代、結婚後、出征時代、夫の戦死、家族、知人のこと、そして四十三年の比島巡拝団参加のときに詠んだ短歌など二百六十三編(首)が収められている。
三版の「あとがき」によれば、歌集は、諸新聞に取り上げられ、この年が「終戦三十周年という事もあって戦争未亡人の一生を歌で綴るという思いがけない反響となって」NHKのラジオやテレビに取り上げられた。
遺骨代りに石を墓に納めて
椰子の実に石入れ尚隙間あればわが骨の始末も息子に頼みおきぬ
なお、栩木は平成四年九月に第二歌集『戦痕消えず』を刊行している。
図3-57 『ルソンの小石』(箱)