[新しいタウン誌の誕生と『浜松百撰』]

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【『浜松百撰』】
 この頃のタウン誌の状況を見ておきたい。いくつかの新しいタウン誌が現れ消えていったが、それらを見る前に、昭和三十二年十二月に創刊され現在もなお続いている『浜松百撰』に触れておく。同誌については『浜松市史』四において既に取り上げてあるので、ここでは第二百号(昭和四十九年七月号)の特集を見るにとどめる。
 この号では、特集として「浜松を語る」と題する座談会が組まれているのだが、これに何と三十五頁が充てられて、広告を除けば記事らしい記事はこれのみと言ってよい。出席者は伊東政好(浜松青年団体協議会)、稲勝正弘(浜松ユネスコ協会)、斉藤和雄(谷島屋書店社長)、笹田康次(元経済クラブ)、武井紀夫(創造開発研究所)、藤枝静男(作家)、百合山羽公(俳人)の七名で、司会は『浜松百撰』の編集長の安池澄江。日付は六月十五日、場所は「丁子にて」とある。座談会に要した時間は記されていないが相当長時間にわたったと思われ、所々に小見出しが付けられている。「浜松市民性とは」「浜松は文化不毛か」「真の意味での発展とは」「文化とは、闘うこと」といった文字が目に付く。そのほかに、凧揚げ祭のことや伊場遺跡問題も取り上げられていて、当時の浜松という都市の現状と問題点を相当的確に捉えており、内容的にも深味のある座談会との印象を受ける。同誌が平成十九年に創刊五十周年を迎え、十一月号で第六百号に達し、浜松文芸館において特別展「浜松百撰五十年の歴史」を開催したことは『浜松市史』四に記した。