[全国公募展「浜松わたしのイメージ」と栗原幸彦]

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【浜松わたしのイメージ】
 浜松市と浜松市教育委員会が主催し、浜松市美術館を会場に第一回全国公募展が開催されたのは昭和六十年二月のことである。開催に当たって作成された図録に付された応募規定によると、テーマは「浜松わたしのイメージ」。「浜松の風景・風俗・歴史・産業・人物やそれらに触発されたあなたのイメージを表現してください。具象・抽象は問いません。」と説明書きがある。
 
【栗原幸彦】
 応募状況は、当時の『広報はままつ』(昭和六十年一月二十日号)によれば、応募総数二百八十二点。県外からは百四十点の応募があり、全国公募とした意味はあったと言えそうである。題材としては、中田島砂丘、浜名湖、浜松まつりのほか、三大産業(織物・楽器・オートバイ)などが選ばれ、油絵・日本画・水彩画の様々な作品(抽象画・具象画)が寄せられたという。審査の結果大賞に選ばれたのは、当時の引佐町に在住の画家栗原幸彦の日本画「朗」であった。栗原は、昭和二十六年浜松市に生まれ、県立浜松工業高校を経て多摩美術大学を卒業。それまでに第二回中日展において中日大賞を、第七回山種美術館賞を受賞しており、この頃は院展研究会員であった(後に離れる)。審査員の一人、平川敏夫(創画会会員)のこの作品に対する評は次の通りである。
 
  大賞の作品「朗」は、浜松市の市木である松と、市花である萩と、砂丘に幼児を配し、今回の「浜松わたしのイメージ」の要素に真向から取り組み、その空間構成と色調の明快さに自然感が漂い、幼児の童顔に新しい息吹きを感じさせてくれる。
 
 作品についての説明はこの言葉に尽きていると思われるが、百号(百六十二・一センチメートル×百六十二・一センチメートル)の堂々たる見事な作品であった。この作品は浜松市美術館に所蔵されているが、別に大きな陶板(三百センチメートル×三百センチメートル)が作成され、これはクリエート浜松の二階に飾られている。公募展は、以後平成十四年までに四回開催されているがその後は行われていない。栗原はその後も旺盛な創作活動を見せており、平成十二年度には静岡県から静岡県文化奨励賞を受賞、また、同年度には浜松市から浜松ゆかりの芸術家顕彰を受けている。