[浜松市音楽祭・子ども音楽会の開催]

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【浜松市音楽祭】
 浜松市民会館ホールにおいて第一回浜松市音楽祭・子ども音楽会が開かれたのは、昭和五十四年十二月二十三日のことである。これは音楽のまち浜松にとって極めて重要な意味を持つ催しであった。市発行のパンフレット「音楽のまち浜松 世界の音楽文化が薫る都市をめざして」(平成十一年発行)の年表の昭和五十四年の欄では、「子ども音楽会」の開催が音楽のまちづくりへの幕開け、と位置付けられている。
 この年の『広報はままつ』(昭和五十四年十二月五日号)を見ると、「国際児童年に寄せて、第一回浜松市音楽祭―子ども音楽会を次の通り開きます。」とあって内容が次のように紹介されている。
 
  第一部…児童会館音楽隊、芳川・与進小学校の合唱。元城小学校、西部・南陽中学校などのリコーダー演奏。竜禅寺小学校のステージドリル。浜松盲学校の琴とリコーダーの合奏。
  第二部…児童会館音楽隊・篠原小学校の器楽演奏。和田・与進小学校の金管バンド演奏。
  第三部…浜松バロック協会(賛助出演)の演奏。
 
【浜松音楽祭】
 この年は、小中学校だけの出演だったが、翌昭和五十五年度には高校部門が加えられた。第三回が行われた同五十六年度からは名称を浜松音楽祭とし、市制七十周年記念ということで次の五部門による盛大なものとなり、期間も半年間という長期にわたるものであった。
 
  吹奏楽パレード(七月一日、参加団体=小学校十、中学校十一校(九チーム)、高校二、一般五)、浜響演奏会(七月一日)、中学・高校部門(十月二十五日、参加校=中学校六、高校三)、一般部門(十一月二十九日、参加団体=合唱十、器楽五、浜松三曲協会)、小学校部門(十二月十三日、参加校・団体=小学校十二、児童会館音楽隊、浜松ライオネット合唱団)
 
【浜松市民音楽祭】
 こうして歩み出した浜松市音楽祭(浜松音楽祭)は、市民の間に定着し、以後、邦楽やポピュラー部門も入れ、平成四年度は全体を九部門とし、長く続けられてきた。しかし、平成十五年にいたって、㈶アクトシティ浜松運営財団主催による浜松市民文化フェスティバル(現在は、浜松市文化振興財団主催)が始まったのに伴い、活動内容はその中に吸収されたが、浜松市民音楽祭として続いている。