[賀茂真淵の顕彰と寺田泰政]

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 ここで述べようとすることは、第六項の浜松史蹟調査顕彰会の誕生と郷土誌の刊行に記したことと深い関係にあるが、それとは別に文化一般の一つの項目としても見るべきであるとの判断からここに取り上げるものである。
 浜松における賀茂真淵の顕彰は、江戸時代については二つのことが挙げられる。一つは文政元年(一八一八)に、高林方朗らを中心に梅谷本陣において県居翁五十年霊祭が行われたことであり、もう一つは、天保十年(一八三九)に同じ高林方朗らを中心に賀茂神社境内に県居翁霊社の社殿が建てられたことである。この県居翁霊社は、明治十七年県居神社の社号が許され、大正九年現在地(今の中区東伊場一丁目)に仮移転され、同十三年に新社殿が完成した。しかし、この神社は昭和二十年、戦災により社殿が炎上してしまい戦後長らく荒廃にまかせられてきた。
 
【寺田泰政】
 他方、遠州地方には、長い国学研究の伝統があり、小山正、内田旭の両碩学(せきがく)を中心として『真淵翁研究』『土のいろ』『郷友』等に拠る人々によって着実な調査研究が続けられてきた。しかしながら、焼失した県居神社が長らく放置されてきたことに象徴的に示されているように、戦後この浜松では郷土の生んだ偉人真淵への関心は薄れてしまっていたと言わざるを得ない。その大きな理由としては、戦前の排外的な皇国史観と国学との密接な関係への反省から、真淵ないし国学が敬遠されたという面があったと思われる。しかし、戦後三十年を経た昭和五十年代に入った頃から、中央の文壇や学界において国学見直しの気運が興り浜松においても真淵顕彰の動きが見られるようになる。こうした動きについては、寺田泰政が『遠江』の六号(「賀茂真淵翁顕彰碑について」)、八号(「賀茂真淵記念館について」)、二十一号(「賀茂真淵翁生誕三百年記念の歌碑について」)の各号において詳しく解説している。寺田は、様々な動きを細大漏らさず取り上げているが、浜松での動きとして大きなものは次の四つといえる。
 
  一. 寺田泰政著『賀茂真淵―生涯と業績―』の刊行(昭和五十四年一月二十日)
  二. 賀茂真淵翁顕彰碑の建立(昭和五十六年十一月三日除幕式)
  三. 浜松市立賀茂真淵記念館の建設(昭和五十九年十一月三日開館)
  四. 賀茂真淵翁生誕三百年記念歌碑建立(平成八年十一月吉日)
 
 まず、一についてである。A5判、本文二百八十二頁。発行者は、社団法人浜松史蹟調査顕彰会。著者の寺田泰政は当時浜松市立高校の国語科教諭。もともとは金田一春彦門下で遠州方言についての研究者であったが、この頃は遠州国学の研究に取り組んでいた(後に、賀茂真淵記念館の学芸職員となる)。当書は、真淵の生涯を彼の在住した土地、浜松、京、江戸の三期に分けてたどりその業績を記したものである。真淵の生涯と学問に関する著書としては、小山正によって戦前の昭和十三年に刊行された『賀茂真淵伝』(春秋社刊、昭和五十五年に増補改訂版が出ている)をはじめとしていくつかが刊行されているが、それらと比べた時の本書の特徴の一つは、著者が「はじめに」において「せっかく遠江という、真淵の生地で出版されるものですから、真淵にかかわる、遠江の国学者をもとり上げ、真淵の学問の影響・成長にも触れるように心がけてみました。」と記している通り、随所に真淵または国学と遠州との関わりについての記述のあることである。本書を読むことによって真淵を知るのと同時に、遠州の国学全体をも見渡すことが出来るわけで、この分野に関心のある者にとってはありがたい行き届いた配慮である。
 二については、第六項で触れてあるが、『遠江』六号(昭和五十七年八月)に前記寺田の寄せた「賀茂真淵翁顕彰碑について」に詳しい。場所は、東伊場一丁目の真淵の生家跡で、新たに小公園が作られたその中にある。これは市制施行七十周年の記念事業の一つとして建てられたものである。ちなみに、市では、過去にさかのぼると、十周年(大正十年)の時には真淵をたたえた歌詞を含む市歌を作り、六十周年(昭和四十六年)に際してはその市歌にちなんで萩が市花と定められており、市は発展の折り目折り目にいつも真淵を偲んできたことになる。
 
【賀茂真淵記念館】
 三の浜松市立賀茂真淵記念館の完成は、昭和五十九年十一月。建てられた場所は、東伊場一丁目で再建された県居神社の西隣である。これについても、第六項で触れたが『遠江』八号(昭和六十年三月)に、同じく寺田の寄せた「賀茂真淵記念館について」に詳細に解説されている。この記念館の事業については浜松市立賀茂真淵記念館条例第3条に次のようにある。
 
  1、賀茂真淵及び遠江の国学に関する資料を収集し、保管し、及び展示すること。
  2、賀茂真淵及び遠江の国学に関する資料の調査及び研究を行うこと。
  3、前2号に定めるもののほか、教育委員会が必要があると認める事業。
 
 賀茂真淵記念館とは言っても、真淵のことのみではなく遠江国学についても言及されていることが注目される。事業の主なものは、常設展示、企画展示、講演会の開催、講座の開催、資料調査、資料保存、市民の学習・研究に対する指導及び助言、出版普及活動などである。開館した昭和五十九年度の常設展のテーマは「賀茂真淵の一生と業績」、企画展示のテーマは「賀茂真淵と遠江の国学者たち」であった。
 四の賀茂真淵翁生誕三百年記念歌碑の建立についても、やはり寺田泰政が『遠江』二十一号(平成十年三月)に「賀茂真淵翁生誕三百年記念の歌碑について」という文章を寄せ詳しく解説している。歌碑は、利町の五社公園の一角にあり、碑の表には万葉集の歌が次のように刻まれている。
 
  引馬野爾  仁保布榛原  入亂  衣尓保波勢  多鼻能知師尓
 (ヒクマノニ ニホフハギハラ イリミダリ コロモニホハセ タビノシルシニ)
                   萬葉集遠江歌考 真淵