【日本庭園】
浜松市の中心部にある浜松城公園内に、日本庭園が完成しオープンしたのは昭和六十年四月一日のことである。同公園は、もともと市制施行四十周年記念事業として昭和二十五年に開催された浜松こども博覧会を契機に開設されたもので、当時は競泳用プール、動物園等が設置されており、昭和三十三年には浜松城天守閣が復興されていた(ただし、これらの施設のうち元城プールは昭和五十四年に取り壊され、動物園は昭和五十八年に舘山寺町に移転されている)。同公園は昭和五十二年四月、天皇陛下御在位五十年記念事業の公園(全国十一カ所)に指定され、同年から再整備が進められていた。日本庭園は動物園の跡地に造られたものである。園内には動物園時代のソメイヨシノなどの多くの樹木がそのまま残され、それに加えてツツジやササなどが植栽された。オープンを予告する『静岡新聞』(三月三十日付)では「市中心街に安らぎの場」とか「自然の地形を利用」「3つの滝・3つの池 清流絶えまなく」といった見出しの文字が目に付く。
【作左の森 石舞台】
日本庭園に続いて、公園内に展望広場、芝生の小広場、作左(さくざ)の森の三つの広場が完成し一般に開放されたのは昭和六十一年の四月のことである。作左の森は、昔徳川家康が家臣本多作左衛門重次に命じて浜松城の北西につくらせ、作左曲輪(くるわ)と呼ばれた曲輪(城の周囲にある、土や石で作られた囲い)の名にちなんで森の名にしたものである。また、同年七月には浜松城公園石舞台(三月に完成)で武智鉄二演出の現代薪能が行われた。翌六十二年三月にはせせらぎ池が完成、四月五日には池の完成式が行われ、これによって南北二つに分かれていた同公園の南側の整備は一段落となった。