浜松市内を歩いていると、坂や道や橋の名前を記したり、建物などの跡地であることを示す標識を目にすることがしばしばある。これは愛称標識と呼ばれ、それぞれの町の歴史的ないわれのある坂、道、橋、場所などを将来に伝えてゆくために、浜松市や地域の自治会連合会が設置しているもので、市全体では千三百本を超えている(『のびゆく浜松』中学校編 平成十五年四月発行)。標識には浜松市が設置した擬木(コンクリート製)や木製のものと、地域の自治会連合会の愛称標識設置委員会が設置した木製のものの二種がある。
浜松市の愛称標識設置事業は昭和五十七年度から始まり、翌五十八年二月までに「百段坂」など四十五カ所に設置された。この事業は五十九年度までの三カ年にわたり、道路や橋、坂など合計百四十カ所に愛称標識が立てられた。平成十一年三月、駅南地区愛称標識設置委員会が刊行した『愛称標識』(サブタイトル「駅とともに変わりゆくまち」)の「発刊にあたって」によれば、自治会連合会の事業は昭和五十八年度の神久呂地区が最初で、平成十年度に三地区(東、駅南、佐鳴台)を最後に完了していることが分かる。十六年間にわたったこの大掛かりな事業は、市広報課の指導があったとはいえ、各地区の人々の協力によって実現を見たものであった。地区では愛称標識設置委員会を組織して取り組んでおり、完成までにはおおよそ一カ年程度の月日を要している。各地区では、標識設置と並行して各標識についての説明をまとめた冊子を作成している(図3―69は河輪地区発行の冊子)。市内三十五の全ての地区で作成され、その全てが中央図書館に保存されていて、事業に関わった人々の熱意がしのばれる。事業はふるさと見直しのブームに乗ったものとも言えるが、郷土への関心を目覚めさせ郷土愛を育てる事業として意義深いものであったと言えるのではなかろうか。
図3-69 『愛称標識の由来』