アクトシティ浜松

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【国際コンベンション都市 日本生命・住友生命グループ案 第一生命グループ案 超高層都市研究株式会社案 展望回廊】
 東海道本線の高架化工事が昭和五十四年十月十五日に完成、その後旧駅の施設や線路が撤去されると駅周辺には広大な更地が出現した。この巨大な空間をどのように利用するかについては官民それぞれが意見を出し合うようになった。浜松市は既に同五十三年・五十四年度にわたって駅前高層複合施設の調査を行い、コンベンションホール、音楽ホール、演劇ホール、展示場、会議室、ホテルなどの施設の導入を考えていた。この後、昭和五十九年三月には浜松地域テクノポリス構想が国から承認され、音楽文化都市構想の進展など二十一世紀に向けた新しい都市づくりが始まるようになった。また、昭和六十三年四月には浜松市が国から国際コンベンション都市に指定されるということになった。広大な浜松駅東街区はこれらの構想の中心部での推進拠点とし、国際化や高度情報化などに対応できる高次な都市機能の集積を図ることを目指した。これには民間活力を活用することが考えられた。これらのことから、浜松駅東街区の開発は企業提案コンペで行うこととなったが、その最大の特色は浜松市と共に東街区を開発するパートナーとなる民間企業を選ぶことにあった。コンペの応募資格は民間施設となる街区(十五街区―二)の土地権利を取得し、自ら事業経営を行える開発企画力や資本力を有する企業または企業グループとし、その計画、設計、監理、建設、経営を行えることが求められた。市の施設だけで約四百億円、街区全体では一千億円近くが見込まれた。提案コンペの説明会は平成元年八月十一日に開催され、五十五社が参加した。この日に示された施設としては十五街区―一に二千五百人収容のコンベンションホール、多目的中ホール、コングレスセンター、十五街区―二にホテルやオフィス、商業施設など、十六街区には展示イベントホール、十四街区には産業技術研修・研究交流センターなどが示された。あまりにも大きな施設で、巨額の経費がかかるため提案締め切り日の十二月四日までにコンペに参加したのは、日本生命・住友生命グループ、第一生命グループ、超高層都市研究株式会社の二グループ一社のみであった(図4―1)。一カ月余にわたって審査してきた浜松駅東街区開発事業計画提案協議審査委員会は平成二年一月二十日に、第一生命グループ(第一生命・三菱地所・ホテルオークラ・伊藤忠商事・ユージー都市設計・日本設計事務所・鹿島建設・清水建設・竹中工務店)の案を選んだ。同グループの施設名はACT CITY、AはART(芸術)、CはCONVENTION(会議)、TはTECHNOLOGY(技術)の頭文字、シンボルとなるアクトタワーは地上四十五階建てで高さ百八十八メートル、全国で九番目、東海地方では最も高い超高層ビルとなる。タワー上部はホテルオークラが、下部は企業のオフィスや商店、音楽学院を予定していた。タワー西側(十五街区―一)には最大二千五百席の大ホールと千席程度の中ホール、コングレスセンター、東側には展示イベントホール、そのほか、北側(十四街区)の研修交流センターなどであった。第一生命グループのアクト・シティを選んだ理由としては、①日陰や電波障害を少なくするため曲面で外観が構成され周囲と調和している、②オフィスの入居者を八割以上確保し、外資系企業も多く浜松の国際化に役立つ、などを挙げた。こうした中、市議会や市民の一部からアクトタワーの高さを二十一世紀の浜松にふさわしく切りのよい二百メートルにしたい、最上階に展望施設を設けたいとの意見が出て、最終的には高さ二百十メートル(ヘリポートは二百十二・七七メートル)、展望回廊の高さは百八十五メートルとなった。

図4-1 浜松駅東街区開発事業計画提案競技の三案 日本生命・住友生命グループ案


図4-1 浜松駅東街区開発事業計画提案競技の三案 第一生命グループ案


図4-1 浜松駅東街区開発事業計画提案競技の三案 超高層都市研究株式会社案

【ショパン像 浜松国際ピアノコンクール】
 これにより、事業費は、市の施設が約六百三十億円、民間施設は約一千億円という市始まって以来の巨大プロジェクトとなった。その起工式は平成三年八月二十六日に行われた。その後、敷地内から不発弾(艦砲弾)が発見されたり、バブル経済の崩壊などに見舞われたが、予定より約半年遅い平成六年十月七日に落成、アクトシティの象徴の一つとなるショパン像の除幕式も行われた。開館記念の催しは音楽はもちろん、演劇、オペラ、コンベンションなどが目白押し、中でも一番の人気は地上百八十五メートルの展望回廊で、オープンから二十一日目で十万人を達成し、来場者は超高層ビルからの展望を堪能した。同年十一月七日からは第二回浜松国際ピアノコンクールが開催され、十一月十三日には日本を代表するオペラ歌手の佐藤しのぶのオペラコンサートが開催された。国内初の四面舞台をフルに使った公演は、舞台を前後左右に移す演出効果や舞台美術など幻想的な雰囲気がよく出て観衆を魅了した。華やかにオープンした反面オフィスの入居率の低さ(平成八年三月では約五十一%)や音楽学院の誘致が出来ないなど問題も多かった。