【情報公開 浜松市情報公開条例】
行政機関が保有する情報を請求に応じて開示することを義務付ける制度を情報公開制度と言うが、これを行ったのは国よりも地方自治体の方が早かった。情報公開の条例制定は山形県の金山町が昭和五十七年三月、神奈川県は同年十月、埼玉県は同年十二月であった。県内では庵原郡蒲原町が昭和五十七年十月に情報公開制度を初めて実施したが、同五十九年現在県内七十四市町村中六十二市町村が「検討予定なし」となっており、情報公開には消極的であった。浜松市は過去に一度検討はしたものの制度化に至らなかった。栗原市長が情報公開についてその方法や時期について内部組織を設けて検討したいと述べたのは、これからはるかに遅れた平成七年九月の市議会の定例会であった。この背景には特に高額な接待費(官々接待)やそれと関連して市長などの交際費の使い道が不明なこと、不適切と考えられる会計処理など、市民からの批判が多くなってきたことにある。平成八年に市は情報公開制度の在り方を検討するための専門家十五人を選び、市情報公開制度懇話会を設置し、情報公開の基本的事項や、実施に向けての具体案の作成などを検討し始めた。浜松市情報公開条例案がまとまり、市議会に提出されたのは十一月の定例会であった。同年十二月十九日に浜松市情報公開条例が成立、平成九年四月一日に施行された。同条例の第一条には「この条例は、市民の公文書の公開を求める権利を明らかにすることにより、市政に対する市民の信頼を確保するとともに、市政の透明性の向上と市民参加の充実を図り、もって民主的で開かれた市政の運営に寄与することを目的とする。」と記されていた。四月一日の情報公開制度開始から二カ月間で窓口となっている市政情報室を訪れたのは七十二人であった。一方、市民で行政機関を厳しく監視しようと浜松市民オンブズマンが正式に発足したのは平成十年十一月二十四日、以後この会は市長や議長の交際費の公開や財政状況などについて情報公開を求めて活動を始めた。この後、市が管理する施設や病院、学校などで大きな事故が起こると、これらに関する情報公開を求める声と個人情報の保護の大切さから、情報公開の是非をめぐって論争が起きた。なお、平成十三年三月にこの条例は全面的な改正(四月一日施行)が行われ、より確かなものになった。