岩崎市政下では衛生害虫とねずみをなくする運動などが、平山市政下では交通道徳の高揚や防空壕の埋立て運動など、その時代の要請に合わせた市民運動が繰り広げられた。栗原市政下では昭和五十五年度からゴミ10%減量運動が、同五十七年度から川や湖をきれいにする運動と豊かな心を育てる家庭教育の推進が始まり、多くの市民の参加で盛り上がりを見せた。昭和五十九年末に浜松市は、この市民運動のさらなる広がりを目指して昭和六十年の「三つの市民運動カレンダー」を市内の十五万世帯に配布した。これには三つの市民運動についての啓蒙記事や写真のほか、市の行事や相談窓口なども紹介するなど行政カレンダーでもあり、好評を博した。昭和六十一年度からは新たに地域福祉をはぐくむ運動と緑を守り育てる運動が加わり、昭和六十二年一月からは五つの市民運動カレンダーとなった。
【もてなしのまち・浜松推進運動】
北脇市政が始まって二年目の平成十二年四月から新しくもてなしのまち・浜松推進運動が始まり、市民運動は六つとなり、この広まりを期待してカレンダーの名称は「浜松市市民生活カレンダー」となり、より多くの情報が載せられることになった。市が新しくもてなしのまち・浜松推進運動に乗り出したのは平成十三年の東海道四百年祭、同十四年のサッカーワールドカップ日韓大会、同十五年の国民体育大会(NEW!!わかふじ国体)と全国障害者スポーツ大会(わかふじ大会)、同十六年のしずおか国際園芸博覧会(浜名湖花博)を控え、市民ひとりひとりが広く浜松をPRし、また浜松に来たいと思って貰えるように温かい心で接してほしいとの願いがあった。浜松の発展はものづくりだけでなく、国内の人々との交流はもちろん、世界中の人たちとの交流を進めていく中でなされるものだという市長の考えがあった。観光関係者や花博が開催される庄内地区の人たちは特に様々な会合や研修会をもってもてなしの在り方を学び、平成十一年十一月に設立された浜松観光ボランティアガイドの会の会員もこの運動に積極的に加わった。また平成十四年度には市内の小学校五年生全員にはもてなしのまち浜松の副読本「みんなが喜んでくれるまちがいいね」が配布された。このほか、もてなしグッズの作成、JR浜松駅構内の観光インフォメーションセンターの運営、観光バス公共駐車場の運営など様々な取り組みが行われた。