【水質浄化装置】
浜名湖(行政上では都田川)は佐鳴湖と違い今切口を通じて大量の海水が流入・流出したり、清流として知られた都田川の水が流れ込むので昭和三十年代前半までは比較的きれいな水質が保たれていた。しかし、昭和三十年代後半に入ると周辺の都市化(住宅や工場の進出等)により生活・工場排水の増加やごみの投棄などで汚れが目立つようになった。昭和四十年六月二十一日には浜名湖周辺の十市町村と商工会議所、商工会、農協や漁協が加わって浜名湖の水をきれいにする会が作られ、湖岸の美化活動や工場の排水処理の監視などの活動が始まった。昭和四十七年八月一日に浜名湖は人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準としての環境基準が定められた。昭和六十二年度の調査では、人の健康に係わる項目として指定されている物質(カドミウム、PCBなど)は全地点で検出されなかったが、水質汚濁を示す最も一般的な指標であるCOD(化学的酸素要求量)は遠州灘に近い湖口や新居などでは適合したものの、湖心や閉鎖的な猪鼻湖などいくつかの地点で基準を上回る汚染が見られた。かつては産業系の排水が汚染の〝主犯〟とされていたが、昭和四十年代以降の各種規制の強化により、昭和六十年代に入ってからは汚染要因の三分の二は家庭からの生活排水となった。周辺市町村の下水道整備が進まない中、環境問題に熱心な人たちは合成洗剤をやめて石けんにしたり、天ぷら油の回収運動を始めたが、期待するほどの効果は見られなかった。浜名湖北西の猪鼻湖は湖口が狭いため湖水の交換が出来にくく汚染が進行、また、ヘドロの堆積も進んで水質の悪化が深刻となった。汚染がひどかったのは猪鼻湖だけでなく、同じく閉鎖性の強い内浦湾(舘山寺地区)も同様であった。このため静岡県水産試験場浜名湖分場は養殖カキ殻の再利用を模索していた浜名湖カキ殻処理対策協議会と共に、カキ殻の散布で内浦湾の水質浄化を図ろうと、カキ殻の散布を平成二年九月から開始した。一年後の調査では水質や底泥の汚濁状況を示す数値が二十%から六十%程度改善され、処分に困っていたカキ殻も溶けてなくなるなどの好結果をもたらした。平成六年五月から県は猪鼻湖に空気を送って湖水を循環させ酸素供給を促す水質浄化装置(間欠式空気揚水筒)を六基設置した。これにより効果が見られたので同七年、八年にも合計十二基が導入された。
浜名湖の水質の環境基準は湖心や新所、南部の新居などはCOD値が二PPMに、北部の松見ヶ浦や白洲では三PPMと設定されていた。平成七年の測定によると浜名湖の全地点で環境基準を達成したが、雨量が少なかったことや海水温が低かったなどの自然条件が良かったことが幸いしての達成であり、根本的な水質改善とはいえないほどであった。平成九年二月四日に静岡県環境審議会は浜名湖の水質汚濁防止のための新しい目安として窒素とリンの環境基準値を設定した。この基準値は浜名湖を湖南部、湖心・湖北部、庄内湖の三つの水域に分けて、湖南部以外は緩く設定した。これは、漁業にとってはある程度の富栄養化は必要であるとの考えからであった。湖西市や新居町では平成十年に湖岸にアシを植えたり、舘山寺の内浦湾では風力を利用して水質浄化を図る風力利用湖水循環装置が館山寺温泉観光協会などによって設置された。また、平成十一年にはオイスカ高等学校とオイスカ開発教育専門学校の生徒と教職員が浜名湖の花川河口の干潟にマングローブの一種のメヒルギの苗を植樹した。これは県水産試験場浜名湖分場が栽培を始め、オイスカ高校が試験的に湖内での栽培に当たることになったもので、浜名湖の水質浄化と景観保全の願いを込めてのものであった。平成十五年には、県や浜松市などでつくる浜名湖浄化技術研究会は民間から浄化技術を公募、どの技術が効果があるかの検証に入り、浜名湖の浄化に取り組むことになった。