昭和六十三年三月末の外国人登録国籍別人員で最も多かったのは韓国または朝鮮で千九百七十三人、続いて中国、フィリピン、ベトナムなどで、ブラジルは七番目、わずか二十八人であった。平成二年六月に出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正により、多くの日系ブラジル人が日本に来ることになった。平成三年には浜松市のブラジル人は四千七十二人、同五年には六千四百八十九人、平成十二年にはついに一万七百八十九人を数えた。ブラジル人が外国人登録者国籍第一位を占めている都市は浜松市のほかに、磐田市、湖西市、豊橋市、豊田市、四日市市、鈴鹿市など自動車関連産業が盛んな都市で、特に浜松市は全国でブラジル人が最も多い都市になった。このような中、浜松市は浜松商工会議所と共に出入国管理事務所の浜松市への設置を陳情した。国はこの要望に応え、平成五年六月一日に浅田町の旧浜松市立南図書館の建物を利用して名古屋入国管理局浜松出張所を開設した。ここには所長以下三人の職員が配置され、在留資格の取得および変更、在留期間の更新、資格外活動・永住・再入国の許可、行政相談などの業務を行う機関で、清水港、田子の浦港に続く県内三番目の施設、内陸型としては中部七県では初の出張所であった。こうして日系ブラジル人が豊橋や清水まで出掛ける不便さが解消された。また、日系ブラジル人の増加に伴い、ブラジル銀行浜松出張所が連尺町に開設され、平成五年七月五日から営業を始めた。この出張所は東京支店に次ぐ国内二店舗目で、浜松市やその近郊、愛知県東部などに在住する約三万人が利用すると見られた。ここでの業務は日系ブラジル人の本国への送金や定期預金が中心であった。
図4-8 名古屋入管浜松出張所の開設