浜松市では昭和三十四年から下水道事業が始まり、平成五年までに約千三百億円もの費用が投資され、平成五年度末にはその普及率は五十・一%となった。ただ、国全体の普及率よりは低く、その普及が急がれていた。『広報はままつ』平成五年十一月二十日号には「〝文化のバロメーター〟とも言われる下水道。川や湖を汚れから守り、清潔で快適な生活を送るために、欠かせないものです。また、市民の皆さんからの市政への要望の中でも、下水道の整備は、毎年高い順位に入っています。」と記されていた。ただ、平成四年度末で、下水道を利用できる地域にもかかわらず約十五%の人が利用していなかった。市の条例では下水道が使用できるようになったら今まで側溝に流していた台所・風呂・浄化槽などの排水は三カ月以内に下水道に接続するように定めていた。その後、第四次浜松市総合計画により普及が進み、平成十六年度には七十九・五%とほぼ目標どおりの数字になった。
【上水道 遠州広域水道用水 市民皆水道】
上水道については三方原用水から上水道用水を取り入れ、大原浄水場を建設するという第一次浜松地方上水道布設事業が完成したのは昭和五十一年三月であった。ただ、浜松市の人口の都市部への増加と生活様式の多様化などにより水需要が増加したため、第二次浜松地方上水道布設事業を昭和四十八年度から開始、まずこれまであった常光水源を改修(取水地点をこれまでの堤内地から堤外地に)し、ここに常光浄水場を建設した。この常光浄水場は市内の馬込川以東を給水区域とすることとし、これが昭和五十三年六月一日に完成、一部通水を開始した。これにより昭和六年の通水開始時からの歴史を持つ住吉浄水場はその役割を終え、災害時の給水用となり、同地に水道部の新庁舎が昭和五十七年九月に完成した。次に、これでも長期的に見ると水需要は増大が予想されたため、水源確保の検討を進めた。しかし、これには莫大な投資が必要なことから、県が進めている船明ダムからの中遠水道用水の水を県の於呂浄水場を通して大原浄水場に受水することにし、この受水が昭和五十四年八月二十一日であった。続いて更なる水需要の拡大や未給水地の解消を目指して第三次浜松地方上水道布設事業を昭和六十年から開始した。これは既設の大原や常光の浄水場の増設や都田川ダムからの遠州広域水道用水を県の都田浄水場を経て受水する都田配水場と深萩配水場の建設が行われることになった。深萩配水場は平成元年に、都田配水場は平成二年に完成、三方原台地の北端や都田地区、庄内半島や和地、伊佐見地区などに給水が始まった。平成十二年からは第四次浜松地方上水道布設事業を開始、浜松市北端の滝沢町や鷲沢町へも上水道の布設を始めた。滝沢・鷲沢両町にはこれまで上水道はなく、住民は井戸などで飲み水を確保していたが、水源の枯渇や水質の悪化などにより上水道整備の要望が出ていた。待望の通水式は平成十五年七月二十五日、ただ、この時点では両町の六十戸だけで、全二百三十戸には平成十六年になってから水道が使えるようになった。これで市内全域への水道が通じ、〝市民皆水道〟が実現した。
図4-11 浜松市上水道の水源と供給先