【東第一土地区画整理事業 東第二土地区画整理事業】
東地区は太平洋戦争末期の空襲により全域が焼失、これにより戦後の復興土地区画整理事業の区域に入ったが住民の反対で事業は未着手のままとなった。これによりこの地区は浜松駅から近い位置にありながら道路の未整備、非効率的な土地利用、不良な居住環境などにより、暗いイメージを持たれる所であった。こうしたことから地区の住民代表は地区内十カ町の二千五百名余の署名を集め、昭和五十三年に至って土地区画整理事業の実施を市に要望した。これを受けて浜松市は同五十四年から調査を実施、同六十二年に都市計画決定がなされた。浜松が魅力ある都市に成長するためには都心の活性化が急務であり、東地区の整備はその一翼を担うものとされた。この地区の区画整理は西側を東第一土地区画整理事業とし、昭和六十二年度から事業を始め、道路や公園、駐車場などを計画的に配置した。ここに作られたアクト通りは幅員四十メートルとなり、美しい花壇ができ、時にはイベント会場にもなるほどであった。また、約十三・四ヘクタールに及ぶ区域はシビックコア(魅力と賑わいのある都市の拠点にするため、都市整備事業に合わせて官公庁施設と民間の建築物を総合的に、一体的に集めた地区)とした。このシビックコアは平成五年三月に建設省が創設したもので、浜松市はこの構想を東第一土地区画整理事業に取り入れることにし、平成七年に官公庁施設の建設を都市計画決定、同十年四月に浜松市シビックコア地区整備計画が承認された。これはさいたま新都心や岡崎市などに次ぐ全国第五番目、県内では初めてであった。そのほか、この地区には商業業務地区として商店や金融機関などが出来た。東第二土地区画整理事業は東側の部分で、東端は馬込川となる。ここも道路や公園を計画的に配置し、北側を東小学校と野口公園に予定していたが、静岡文化芸術大学を東小学校と野口公園の位置に建設することとなり、学校と公園は大学の南に移ることになった。これにより、東第二地区は教育文化ゾーンとして、また、商住複合の地区となった。広大な野口公園のほか、馬込川公園は四季の花が楽しめるところとなった。約二十年に及んだ東地区土地区画整理事業の完工記念式典は平成二十年十月二十五日に地区内にある東小学校に関係者約三百人が出席して開かれた。総事業費は約千百億円に上った。