[政令指定都市]

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 平成十七年七月一日、新しい浜松市が誕生すると市民に向けてパンフレット(「平成19年4月の政令指定都市実現を目指して」)が配布された。そして同十二日には第一回の行政区画等審議会が開かれ、平成十六年十月の合併協議会で内定していた七つの行政区とすることを決めた。そして、関心の的となっていた区名は市民から募集することになった。新しい浜松市誕生を機に旧市町村ごとに置かれた地域自治区で地域住民による地域協議会が月に一回のペースで開催された。これは環境と共生するクラスター型の政令指定都市実現のために期待されていた。平成十七年十月二十八日、県と浜松市の間で権限委譲等に関する基本協定が締結された。これにより、浜松市が政令指定都市になると法令に基づく事務が九百二十三件、そのほかを合わせると千三百九十四件が県から市に移譲されることが決まった。主なものとしては、児童相談所の設置、国道・県道の管理、小・中学校教職員の任免などであった。
 
【区名 区役所 政令指定都市移行】
 市民からの区名募集の結果、各区とも上位の五区名が決まったことから、さらにこの内で最もふさわしい名称を区名投票(アンケート)で選ぶことにした。この結果を基に、行政区画等審議会が平成十八年三月に開かれ、B区からG区までは投票数が最多の区名がそのまま選ばれた。ただ、A区は、最多が中央区であったが、区内に中央地区があること、ほかの東、西、南、北の区名とのバランス等を考慮した結果、第二位となった中区と決定、これが三月二十日に市長に答申され、十二月一日に市議会の議決を受けて正式に決まった(図4―14)。区役所については中区、北区、浜北区、天竜区は既設の建物を使い、東区、西区、南区は新設されることになった。政令指定都市移行のために必要となる政令の改正に向け総務省との協議や要望活動は合併前から行われてきた。閣議での決定に向けて総務大臣へ政令の改正について要望が行われたのは平成十八年八月三十一日のことであった。長年の準備や要望が実って浜松市の政令指定都市とするための法令改正が行われることが閣議で決定されたのは同年十月二十四日、新聞には早くも「政令市決定」の記事が出た。そして、平成十八年十月二十七日に指定政令が改正(同日に公布)され、これにより浜松市が平成十九年四月一日から政令指定都市になることが正式に決まった。これより前の平成十七年二月には、政令指定都市移行に向け地域を挙げて推進するため、浜松市政令指定都市推進市民協議会が設立され、様々な講演会や啓発活動が展開された。区役所や地域自治センター、児童相談所、事業所などの整備が進み、区制の様々な準備も終わり、平成十九年四月一日に浜松市は念願の政令指定都市になった。四月一日は日曜日、各地で移行記念のイベントが開催され、多くの人たちでにぎわいを見せた。七つの区役所での業務は二日から開始された。これら平成の大合併や政令指定都市になるまでの詳しい情報は『広報はままつ』にその都度掲載された。政令指定都市移行後初の市制記念日である平成十九年七月一日には、政令指定都市移行・市制九十六周年記念式が行われた。

図4-14 市民から募集した区名候補5つと決定した区名

                A区=中区 B区=南区 C区=東区 D区=浜北区
                E区=西区 F区=北区 G区=天竜区
 
 県庁所在地でもなく、大都市の衛星都市でもなく、大都市同士の合併でもなく、地方の一都市が政令指定都市となったのは浜松市が最初であった。