【浜松救難隊】
航空自衛隊の浜松救難隊は平成三年以降も事故機の捜索や乗員の救助、遠州灘での遭難者の救助、地震に伴う情報収集、三宅島での火山観測支援など、各地に派遣されてその任務を遂行した。ここではその中から幾つかの事故を取り上げ、その対応を見てみよう。
平成六年五月九日、遠州灘の訓練空域で川崎重工がテスト飛行中のT―4機に緊急事態が発生した。中部航空方面隊司令官から浜松基地に救難活動が発令され、直ちに発進した第一航空団のT―4機は後部座席で雲中飛行同然の状態で操縦している事故機を発見し、浜松基地に誘導して無事着陸に成功させた。また、テスト飛行中のT―4機から脱出し海上に浮遊していたパイロットは救難隊のV―107機が救助した。
平成六年十月十九日、遠州灘で秋田救難隊所属のMU―2型機が墜落、航空自衛隊はもちろん、海上自衛隊や海上保安庁も捜索活動に当たった。同年十一月十五日までに搭乗員のうち三名の遺体が発見されたが、残り一名が依然行方不明であった。ちなみに事故発生以来十一月十五日まで浜松救難隊の出動回数は百五十三回に上った。
平成九年九月二日、浜名湖今切口の南百メートル付近で転覆、漂流しているボートを訓練飛行中の浜松救難隊のV―107機が偶然発見した。このボートの船首部分につかまっていた男性を無事に救出した。これも救難隊の常日頃の訓練の成果が実を結んだものであった。
平成十年二月五日遠州灘でホンジュラス船籍の貨物船が沈没する事故があり、第四管区海上保安本部から基地に救難要請が入った。救難隊は夜明けとともに、MU―2、V―107を発進させて現場海域の捜索を行った。当日の海は、大しけ模様で捜索は難航し、行方不明者を発見できなかった。この災害派遣に救難隊は四次にわたりほぼ全員(計四十名)が捜索活動に出動し、隊の活動状況を大いにアピールした。
平成十年七月十七日山梨県の飛行場を離陸し秋田県を目指したモーターグライダーが消息を絶った事故では、山梨県の清里村付近の八ケ岳の東斜面に墜落してバラバラになった同機と操縦者を発見した。
平成十四年度の救難隊の人員は隊長以下七十二名、V―107を四機とMU―2を三機保有していた(『精強』)。