平成五年(一九九三)七月二十八日の新聞が、空中警戒管制機(AWACS)の配備先として浜松基地が最有力であると報じた。これは防衛庁が中期防衛力整備計画に基づき平成九年度に導入する予定のものであった。空中警戒管制機とは、昭和五十一年(一九七六)ソ連軍のミグ25戦闘機の亡命事件を機に、地上レーダーサイトの弱点を補完するため、空中からも情報の収集および伝達を任務とする航空機が必要とされ導入されたもので、昭和六十一年に三沢基地(青森県)に部隊が創置されていた。今回浜松に配備されるのは最新鋭のE―767型機であると報道された。この報道に浜松の市民グループ・浜松から基地をなくす市民の会準備会は、配備は基地の実戦基地化につながる、一機五百七十億円という巨額な費用は国費の無駄遣い等の理由から反対運動を始めた。ほかにも反対グループの活動があった。同年九月浜松基地司令は、浜松基地が候補地の一つであることを認めた(『静岡新聞』平成五年九月二十二日付)。
図4-15 三沢基地のE-2C(手前)と浜松基地のE-767(奥)
翌六年八月二十二日、防衛庁筋は早期警戒管制機(AWACS)が浜松基地に配備される見通しとなったことを明らかにした。そして、同月三十日防衛庁から正式に浜松市と静岡県に配備の通知があった。浜松に決定した理由は、一.運用可能な滑走路の長さを有する、二.基地に余裕がある、三.地理的に日本の中央にあり、どこにでも進出及び哨戒が容易にできるからであった(『静岡新聞』平成六年八月二十二日付、『航空自衛隊50年史』)。
【警戒航空隊】
平成六年十二月二十日防衛庁は来年度の防衛費で浜松基地の施設整備事業費が計上されたことを明らかにした。これによりAWACSの配備が事実上確定した(『静岡新聞』平成六年十二月二十一日付)。これを受け、翌七年一月浜松基地に早期警戒管制機準備班が新設され、翌八年八月それが浜松基地の準備室となった。同十年三月二十五日、浜松基地に早期警戒管制機(AWACS)E―767二機が配備され、飛行開発実験団警戒管制機実用試験隊が発足した(『静岡新聞』平成十年三月二十六日付)。翌十一年二月新たに二機が配備され四機となった。同年三月二十五日、これまで三沢(青森県)にあった警戒航空隊の本部を浜松基地に移し、実用試験隊を空中警戒管制隊(E―767を装備)に改編した。警戒航空隊は浜松基地では十四番目の部隊となった。それに伴い同隊の司令部も三沢から浜松基地に移動した。そして、平成十二年三月三十一日からE―767型機による対領空侵犯措置を開始した(『精強』)。
図4-16 警戒航空隊の編成