浜松基地の四大行事とは、年頭の賀詞交歓会、春の観桜会、夏の基地納涼の夕べ、秋の基地航空祭であるが、中でも基地航空祭は最大の広報行事であった(『遠州灘』第57号)。平成二年(一九九〇)十二月二日に基地航空祭が開かれたが、それに合わせてエア・フェスタ・ハママツ'90が初めて開催された。従来との違いは、航空祭に市民が参加したことであった。その狙いは、航空祭を産業振興と市民参加型のイベントに育てるためであった。エア・フェスタ開催のために官民合同の実行委員会が設置され、これには、地元企業をはじめ浜松商工会議所、浜松青年会議所、浜松経済クラブ、県西部防衛協会青年部などが参加し、イベント案などを審議した(『静岡新聞』平成二年七月二十九日、八月一日・二十五日付)。こうした動きに反対する市民団体もあったが、基地は基地航空祭に市民が健全なイベントを同時実施することは歓迎するとして協力した(『遠州灘』号外)。基地航空祭当日はブルーインパルスの展示飛行や地上の自衛隊航空機展示などが行われ、会場は県内外から約十万八千人の子供連れや航空ファンでにぎわった。会場の一角でエア・フェスタ・ハママツ'90も開かれ、紙ヒコーキ大会や未来カー展示などが来場者の人気を集めた(『静岡新聞』平成二年十二月三日付)。エア・フェスタ・ハママツ'92のイベントでは、この年琵琶湖で開かれた鳥人間コンテストで優勝した地元の「極楽とんぼ」という人力飛行機が注目を集めた(『遠州灘』第45号)。
図4-17 浜松基地航空祭とエア・フェスタ・ハママツ'91
航空自衛隊は、防衛と自衛隊について国民の理解と関心を得るために様々な施策を行い一定の評価を得てきたが、なお国民の中には「自衛隊の実情が分からない」という意見も少なからずあった。外国では国や軍が飛行博物館等を運営し、国民との伝達の場として効果的に広報活動を展開している例もあり、防衛庁もその点に着目し、本格的施設を建設すべきだという機運が盛り上がってきた。
【航空自衛隊浜松広報館】
こうした背景があって、航空自衛隊の魅力化に関わる事業「翼計画21(WING21)」(平成元年二月十二日)の一環として航空自衛隊浜松広報館は中期防衛力整備計画(平成三年度~七年度)に盛り込まれた。
図4-18 航空自衛隊浜松広報館
設置候補基地の中から浜松基地に決定した理由は何点かあった。それは、航空自衛隊発祥の地であるとともに、基地見学者数が全国一であること、教材整備隊が所在しており、展示機材等に対する整備支援が期待できること、航空自衛隊が使用した航空機を多数所有していること、さらに、浜松市が同施設を観光ルートに組み入れるとして歓迎していたことなどである(『航空自衛隊50年史』)。
開館時期は予定より少し遅れたが、平成七年に広報館の受け入れを公表していた浜松市から同十年度には開館してほしいとの強い要望があったことから、展示品の一部が未完成であったものの、十年度末の平成十一年三月三十日に開館記念行事を行い、四月四日に一般公開(開館)となった。浜松広報館は基地の南東にあり、敷地面積は約二万五千平方メートル、資料館と格納庫、屋外展示場で構成されている。資料館には次期支援戦闘機F2の木製模型やF1支援戦闘機、対空機関砲、エンジンや火器管制装置等を展示、また、模擬飛行が楽しめる簡易シミュレーターも設置された。目玉は全天周型の映像シアターで、F15戦闘機のコックピットからの眺めを八分間にわたって体感できることであった(『遠州灘』第121号、『静岡新聞』平成十一年四月一日付)。
【エアーパーク】
同館は開館当初年間二十万人の入館を見込んでいたが、三年三カ月目の平成十四年七月には入館者が百万人を突破し、予想を大幅に上回った。なお、平成十二年四月、この航空自衛隊浜松広報館のニックネームはエアーパークに決まった。浜松広報館へは全国から航空ファンが訪れるほか、親子連れや旅行ついでに立ち寄る観光客が多かった(『静岡新聞』平成十一年七月五日付)。