平成元年前後からの中部航空音楽隊の活動を見ていこう。平成元年(一九八九)四月二十七日、同隊発足以来足掛け十三年にわたる夢であった演奏訓練場が完成し、落成式と祝賀演奏会が行われた(『静岡新聞』昭和六十四年一月六日、平成元年四月二十八日付)。その頃同隊の活動範囲は、宮城県から兵庫県までの一都二府二十三県であった。これは航空自衛隊の設置していた五つの音楽隊〔航空中央音楽隊(立川)、北部航空音楽隊(三沢)、中部航空音楽隊(浜松)、西部航空音楽隊(春日)、南西航空音楽隊(那覇)〕(『航空自衛隊50年史』)の中での役割分担であった。その範囲内ならば、航空自衛隊の各部隊にとどまらず自治体等の要請があれば出向いて演奏会・音楽教室・各種行事への協力を行い広報活動の一翼を担った。昭和六十二年は年間百二十回以上(『静岡新聞』昭和六十三年一月二十八日付)、平成四年は派遣演奏の依頼が例年になく集中、車両による走行は十二万キロメートルを超え、遠くは硫黄島を含む中部航空音楽隊の担当エリアを東奔西走、聴衆人員は百万人を超えた(『遠州灘』第46号)。同九年は十九都府県で演奏会を開催、自衛隊で一番忙しい音楽隊であった(『遠州灘』第106号)。それらの中から幾つかを具体的に見てみよう。平成元年十月二十六日午前には静岡産業館で開かれた第四十一回全国漁港大会で歓迎演奏を行ったが、会場は全国から集まった漁業関係者ら三千四百名で満員であった。また、午後には用宗漁港でのアトラクションに出演した。同月二十九日には天皇賞競馬が開かれた東京競馬場での昼休みの演奏、出走前の芝コースでのパレードとファンファーレ、表彰式での式典演奏などを行った。当日の観衆は約十五万人、ここでの演奏は毎年の恒例行事ではあるが、これはテレビ・ラジオで全国へ放送されるので、自衛隊の看板を背負っての仕事で、隊員にとっては緊張の連続で終始するという(『遠州灘』第10号)。平成十二年十月三日には長野県麻績(おみ)村のJR聖高原駅開設百周年記念行事に参加、市中パレードや記念コンサートを行った(『遠州灘』第140号)。なお、同駅には昭和三十六年に浜松から立川に移駐したばかりの航空音楽隊の駅前でのパレード写真が数枚掲示されていて隊員は感慨深く見入っていたという。
【定期演奏会】
演奏依頼の多い中、地元で開催する定期演奏会は、同隊にとって唯一の自主演奏会である。会場は平成六年までは市民会館であったが、同七年からアクトシティ大ホールに移り、いつも満員の聴衆を集めている。そのほかの地元での定期演奏会では磐田トンボコンサート(昭和五十五年から磐田サマーコンサートとして開始、平成三年から磐田トンボコンサートと改称、静岡県西部防衛協会主催)、浜北グリーン吹奏楽コンサート(平成元年開始、浜北市自衛隊協力会主催)がある。また、平成十二年三月二日にはアソカ学園が開催した楽しい音楽会に出演、ミッキーマウスマーチやだんご3兄弟などを演奏した。この日はアソカ学園の七つの幼稚園から約千三百名の園児が参加、生のオーケストラによる演奏を楽しんだ(『静岡新聞』平成十二年三月四日付)。このように同隊の聴衆は大人から子供まで実に年齢幅が広く、それに伴い演奏曲も〝ベートーベンから演歌まで〟を合言葉に昭和六十年代には約四千曲のレパートリーを持っていた(『静岡新聞』昭和六十四年一月六日付)。