不法滞在 不法就労

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 平成二年の出入国管理及び難民認定法の改正により、浜松には多くの日系ブラジル人やペルー人、その家族が居住するようになった(表4―9参照)。これらのほか、浜松には職を求めて不法に残留して職に就く外国人が目立ち始めた。
 
表4-9 浜松市の外国人登録者数

世帯数
人 囗
合計


昭和51年
756
1064
980
2044
52年
776
1061
980
2041
53年
786
1077
1010
2087
54年
819
1104
1055
2159
55年
847
1136
1085
2221
56年
863
1152
1073
2225
57年
912
1156
1118
2274
58年
926
1157
1125
2282
59年
986
1185
1180
2365
60年
1036
1234
1212
2446
61年
1104
1247
1292
2519
62年
1201
1293
1396
2689
63年
1395
1425
1535
2960
平成元年
2161
1891
1973
3864
2年
4368
3666
3356
7022
3年
6687
5967
5006
10973
4年
6730
6325
5130
11455
5年
6630
6079
5269
11348
6年
6598
5916
5396
11312
7年
6987
6564
5763
12327
8年
7105
7018
6179
13197
9年
8143
8203
7266
15469
10年
8264
8555
7524
16079
11年
8911
9208
7866
17074
12年
9504
9751
8840
18591
13年
10437
10489
9957
20446
14年
11143
10960
10474
21434
15年
11792
11462
11228
22690
出典:『浜松市統計書』各年版より作成

 
【名古屋入国管理局】
 昭和六十三年(一九八八)十月十九日名古屋入国管理局は浜松市内や磐田郡の宿舎や会社を出入国管理法違反容疑で家宅捜索し、バングラデシュ人やインド人ら五十六人を拘束、強制送還することにした。彼らはいずれも日本での単純労働の従事は認められない観光目的の短期滞在で入国していた。中には最大一年四カ月不法残留したり、資格外活動で働いていた。これほど大規模な不法就労の摘発は最近県内では例がないと大きく報道された(『静岡新聞』昭和六十年十月十九日・二十日付)。それまでは外国人の女性が観光目的で来日し、風俗営業の店などで働くという例が多かった(『静岡新聞』昭和六十二年十月二十一日付)。この事件の背景には遠州地方では深刻な人手不足があり、労働力市場の逼迫(ひっぱく)が不法就労受け入れの温床になっていた。彼らは本国と日本との賃金格差があるので、円高で単純労働の需要の多い日本で金を稼ぐため入国した出稼ぎ労働者であった。彼らの背後には、本国での送り出しと日本側に受け入れのブローカーの存在が指摘された。こうした労働者の問題としては、不法就労であるため正規の法律保護が受けられず、低賃金や長時間労働などがあった。平成二年の入管法改正で雇用者に対して不法就労助長罪が新設され処罰規定が導入されたが、不法残留がなくなることはなかった。平成十一年頃の浜松地方の中・小企業等の中には不法残留外国人の労働力に依存する所もあり、不法就労に介在する外国人専門の人材派遣会社の存在もあった(『静岡新聞』平成十一年七月十五日付)。
 不法就労等を無くすため、関係機関も様々な手立てを講じた。平成六年十二月入管協会(法務省の外郭団体)は、浜松市の事業主らを対象に説明会を開き、外国人の正しい受け入れ方法を指導した。また、同八年十一月には浜松市の中央地区で外国人を雇用している十五事業所が外国人への防犯や交通事故防止、不法滞在や不法就労を防止するため浜松中央地区外国人雇用企業等連絡協議会を設立した(『静岡新聞』平成九年六月二十五日付)。