【放火 不審火】
昭和五十三年(一九七八)六月、浜松市消防本部は管内(浜松市、浜名郡可美村・雄踏町・舞阪町)の火災原因に放火・不審火が増えていることから(同五十二年は放火が二十五件で原因の第五位)、浜松市が大都市型(東京・大阪など六大都市に見られる放火・不審火の増加傾向)になってきたとし、無人の小屋や物置は戸締まりを厳重にすること、可燃物は置かないようにすることなどの注意を呼び掛けた(『静岡新聞』昭和五十三年六月十三日付)。それにもかかわらず同六十一年度上半期(一~六月)は放火・不審火は火災原因の第一位(三十三件、全体では二百九件)となった。そのため浜松市消防本部は対策として建物の周囲に燃えやすい物を置かないこと、ゴミは指定された時間、場所に出すこと、物置などの戸締まりをすること、近所の住民同士で火の気に対する注意を絶やさないことなどの方針を打ち出した(『静岡新聞』昭和六十一年七月十六日付)。しかし、昭和六十二年の第四位を除けば平成二年まで第一位であった。同三年は第一位をたばこ(五十件)に譲り第二位となったが、翌四年から急上昇(九十五件)し、同七年には百三件となった。翌八年は前年比三十七%減となるも、翌九年は百十三件であった(最多は平成十二年の百三十六件)。その後は少し減少したが、昭和五十年~平成初年に比べると、かなり多い水準で推移している。
平成九年は火災件数は三百九十九件で、昭和五十一年以降で第二位(最高は平成七年四百二十六件)の多さであった。同年の火災の原因で最も多い放火・放火の疑いを見ると、三月に和地町の和地幼稚園周辺で十七件、十一月から十二月にかけて遠州灘海岸付近で十数件の連続放火の疑いのある事件が発生しているので、数も多くなった。こうしたこともあり、翌十年三月一日から始まる全国一斉の春の火災予防運動では、浜松市消防本部の二つの重点目標の一つに放火防止対策の推進を挙げた(『静岡新聞』同年二月二十五日付)。平成十二年一月から同十六年にかけて、浜松・浜北両市を中心として連続放火事件が発生した。浜北・浜松中央・浜松東三署と県警捜査一課が合同捜査本部を設置して犯人を追ったがなかなか解決しなかった。件数では浜北署管内六十件、浜松東署管内三十五件、同中央署管内二十五件、磐田署管内十数件、計百三十件を超えた。平成十六年四月五日、足掛け五年にわたる粘り強い捜査が実を結び犯人が逮捕された。それは放火の時に残された指紋が決め手であった。この間携わった捜査員は五万九千人に及んだ(『静岡新聞』平成十六年四月六日付)。