【暴力団対策法】
平成三年(一九九一)五月、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(暴力団対策法)が公布され、翌四年三月施行となった。その概要は「一定の要件に該当する暴力団を指定し、この指定された暴力団(指定暴力団)の暴力団員(指定暴力団員)を規制の対象とする」であった。指定暴力団(公安委員会が指定)がその威力を利用して資金を集める等の要求行為を禁止、また、何人も指定暴力団員に対し、暴力的要求行為を要求し、依頼することなども禁止された。暴力的要求行為とは、人の弱みに付け込む金品などの要求行為、不当贈与要求行為、不当下請けなどの要求行為、みかじめ料の要求行為、用心棒料などの要求行為、高利債権取立行為、不当債務免除要求行為、不当貸付要求行為、不当地上げ行為など十一項目を示した。
こうした法が制定されたのは、従来のやり方では、暴力団への対応が不十分となってきたからであった。昭和六十年代から暴力団は山口組・稲川会・住吉会の三団体による寡占化が進み、広域暴力団の威力を利用して民事介入暴力や企業対象暴力などにより、一般市民や企業に被害を及ぼすことになった。さらに、広域暴力団の勢力拡大に伴う対立抗争が頻発、一般市民が巻き添えになる事件も発生した(平成三年 『犯罪のあらまし』、『静岡県警察史』自昭和五十年至平成十二年)。そのためには有効に取り締まる法整備が待たれるところであった。
【暴力団】
平成四年頃浜松地区には暴力団が十団体あり、約三百五十人の暴力団関係者が存在し、その九十%が山口組系の組織に属していた(平成四年『浜松地区警察白書』)。この法の施行により、みかじめ料や用心棒代をはじめとする暴力団の資金源は細くなってきた。そうした中、市内の暴力団員で組を抜けようとする若者も出てきたが、組幹部の妨害があり容易ではない実態があった(『静岡新聞』平成四年十月十二日・十三日付)。
平成五年十一月二十六日、浜松市と浜松中央・浜松東・浜北の三署は公共工事等からの暴力団及びその関係者排除に関する連絡協調体制確立を狙いにした合意文書に調印した。これは暴力団関係者が「正業に仮装」して建設業等を営業していたからである。市と警察の連携で、情報交換と暴力団からの予想される妨害を阻止できる体制を整えたのである(『静岡新聞』平成五年十一月二十六日付)。
暴力団を社会から締め出すためには、警察の取り締まりとともに、市民一人一人が結集して「暴力団が活動できない社会環境づくり」を強力に推進することが求められた(『あらゆる暴力を追放して明るく住みやすい町づくり』平成三年版)。