[救急救命士の誕生と高規格救急車の導入]

926 ~ 927 / 1229ページ
【救急救命士】
 せっかく救急車で心肺停止患者を搬送しても諸外国に比べ日本の救命率は低かった。そうした背景の下、平成三年(一九九一)四月救急救命士法が制定された。救急救命士は、救急車内で搬送中の患者に医師の指示を受けて応急措置を施すことが出来る国家資格の救命士のことである。それと同年八月に改正された救急隊員の行う応急処置等の基準に合わせて、浜松市消防本部は救急隊員の救命技術と救命率向上を目指して市内の病院実習研修を開始した。患者の搬送を目的にしている救急隊員の業務は、従来簡単な止血や人工呼吸、心臓マッサージ等一部の行為しか出来なかったが、応急処置等の基準の改正で、救急隊員資格(百三十五時間の講習)に加え百十五時間の講習を受ければ新たに気道確保や聴診器による心音・呼吸音の聴取等九項目の応急処置が可能となった。さらに六カ月の講習の後、厚生省の国家資格に合格すると救急救命士の資格が取得できるようになった。しかし、救急救命士の受験資格を取る講習の受け入れ態勢が未整備であった。そこで市は資格は取れないものの将来の救急業務の高度化を想定して独自の病院実習に踏み切った。当時市内に救急隊が九隊あり、救急隊長十八人、隊員が九十二人いた(『静岡新聞』平成三年七月十八日、十月十九日付)。
 翌四年度から市消防本部は救急高度化推進整備事業を始めた。救急隊の増設と救急救命士の前段階の救急二課程(百十五時間)の受講救急隊員の増加を図るとともに救急救命士の育成を目指した(『静岡新聞』平成四年二月二十二日付)。こうして、平成四年度には浜松市で初めての救急救命士が誕生した。
 
【高規格救急自動車】
 平成七年三月、市消防本部は救急救命士対応の心臓のけいれんを取り除く半自動式除細動器など高度な医療機器を搭載した高規格救急自動車を導入した。この高規格救急車は従来の救急車に比べ、処置スペースの高さ・幅・奥行きがともに三十センチ程度大きくなり、救急救命士が立ったまま救急処置を行うことが出来るようになっていた(『静岡新聞』同七年三月七日付)。これは中消防署に配備され、同年三月二十二日から運用が開始された。救急救命士も三人となり、本格的に活動を始めた。同市消防本部管内(浜名郡雄踏・舞阪両町を含む)では、年間一万二千件の救急出動があり、そのうち約一割を占める重症患者の搬送を担うことになった(『静岡新聞』同七年三月二十三日付)。

図4-20 新しく導入された高規格救急自動車(左)