【少子化 私立幼稚園 市立幼稚園 三年保育 保育園】
少子化の言葉が出始めたのは昭和五十年代に入ってから、特に平成元年には丙午のため出産が減った昭和四十一年を下回る出生数となり、少子化が現実のものとなり、各方面に大きな衝撃を与えた。県内の幼稚園では昭和五十四年から園児の減少傾向が出始め、静岡県私立幼稚園振興協会は昭和五十七年に幼児減少対策特別委員会を発足させている。浜松市の私立幼稚園のほとんどが入っている浜松市私立幼稚園協会加盟の幼稚園の数は昭和五十七年度は四十六園、平成十五年度には四十八園と二園増えているものの、園児数は一万四千七百五十二人から一万千四百三十人となり、約三千三百人も減った。これを受け、各園では一学級の幼児数を三十人以内にしようと努力し、ひとりひとりの園児に十分な指導が行き渡るようにしていった。また、多くの施設も近代化し、自然に恵まれた良い環境の中で幼児教育がなされるように努めた。一方、市立幼稚園では多くの父母が望んでいた三年保育の実施が遅れ、平成三年の時点でも合併した可美幼稚園以外の二十四園全てが二年保育のままであった。このこともあって昭和五十年代半ばには市立幼稚園の全園児数は三千人近くいたが、平成七年には半数近くにまで減少した。これは三年保育で、バス通園が出来る私立幼稚園や保育時間の長い保育園に通わせる保護者が増加したためであった。豊岡小学校の場合、以前は隣接している市立豊岡幼稚園からの児童が一年生の大半を占めていたが、昭和六十一年度には豊岡幼稚園からの児童は四十八・六%、平成七年度は三十九%にまで減少した。これらを受けて浜松市は平成八年度に笠井・村櫛の両幼稚園で三年保育の試行を始めた。そして、平成十四年には二十四園中十七園が三年保育に、平成十五年には二十四園全てが三年保育になった。このため、平成十五年の園児数は前年の千九百八十二名から二千二百八十三名へと増加した。幼稚園とよく比較されるのが保育園である。昭和五十六年には市内に公私立合わせて五十三の保育園があり、定員は四千八百六十人、それに対して在籍の園児は四千百八十四人であった。平成十五年になると公私立の保育園は五十七園に増え、定員も五千三百三十五人に増えたが、なんと在籍園児は五千六百三十三人と定員を超過していた。保育園は父母が労働や疾病のために児童を保育できない場合に保護者に代わって保育する機関であるが、働く母親の増加により、〇歳児から保育をし、また、幼稚園より保育時間の長い保育園へ子供を通わせる傾向が出てきたのである。