【頭髪の自由化 学帽着用の自由】
昭和六十年代に入り情報化社会の発展や様々な価値観を持つ人たちが増え、これまで細かな所まで規制していた校則を見直す動きが出てきた。海外で学校生活をしてきた帰国子女や他県からの転入者などからも校則を見直してほしいとの声が出てきた。市内の中学校(静大附属浜松中を除く)では、これまで男子生徒は原則として丸刈りを義務付けてきたが、昭和六十三年十二月になって浜松市校長会は生徒の頭髪や制服などを定めた校則は各校の裁量に任せることを決めた。これにより昭和六十二年度から校内に校則見直し委員会を設置して、教職員や生徒、父母が一緒になって検討をしてきた中部中学校は昭和六十四年一月七日の始業式から男子生徒の丸刈り規則を廃止して、頭髪の自由化に踏み切った。これに続いて平成元年度から東部・与進・蜆塚など、同二年度から神久呂・積志・新津などの各中学校がこれに続いた。女子の部分しばり、三つ編み(ゴムの色も)も自由になった。平成二年六月に発行された積志中学絞の『PTAだより』には「待望の頭髪由由化」「ちょっぴり大人っぽくなりました」の見出しや生徒会長の「全員で取組んだ新校則」の文が出ている。これには頭髪の自由化の検討を始めて一年、生徒会が最終結論を出して実施となったことが詳しく記されている。同三年度には三方原・湖東などが、同四年度には八幡・庄内・高台などほとんどの中学校で頭髪の自由化がなされた。これに伴い、学帽の着用も自由となり、多くの生徒が学帽をかぶらなくなった。これらは新制中学校発足以来の一大変革であった。ただ、頭髪の自由化と言っても中学生らしさが求められ、生徒にはある程度の責任が求められた。高台中学校では頭髪の自由化に伴う七項目の決まりと約束が生徒総会で承認された。それは次のようなものであったが、これらは高台中学校だけでなく、ほとんどの学校でも同様なものが決められた。
1脱色、染髪の禁止 2髪の長さは、肩にかからない程度 3前髪は目にかからないように
4パーマ、そりこみは禁止 5整髪料は無香料・つやが出ないもの 6整髪料は学校持参禁止
7授業中、髪をいじらないようにする
【校則の見直し】
頭髪の自由化やほぼ同時期に行われた校則の見直しは、社会情勢の変化に合わせて教育界も柔軟に対応することの大切さを教えたようだ。