【聖隷クリストファー看護大学 聖隷クリストファー大学】
聖隷准看護婦養成所が開設されたのは昭和二十七年四月、それが私立高校としては全国初の衛生看護科を持つ聖隷学園高校に変わったのが昭和四十一年四月であった。そして聖隷学園浜松衛生短期大学が設立されたのは昭和四十四年、この短大の三年制は昭和四十九年から始まった。その後二年課程を廃止し、三年制の本格的な看護教育を施してきた。昭和六十年代に入り医療技術の高度化・専門化が進む中、聖隷学園は看護学部看護学科を持つ四年制大学の設立を計画、これが平成三年十二月に大学設置・学校法人審議会で認可の答申が出され、平成四年四月二十一日に聖隷クリストファー看護大学の入学式が三方原町の同校で行われた(開学式は同年五月十四日)。大学設立の理由としては医療技術が日々進歩していく中で、医療機器の操作なども含めた高度な知識が求められること、在宅ケアや訪問看護などで高度な看護技術が求められる時代背景があったことが挙げられる。四年制看護教育の単科大学としては全国で三番目、この大学は看護婦(士)と保健婦(士)の養成を目指した。一期生は男子六名、女子百四人の百十名、大学名のクリストファー(キリストを運ぶ者)にもあるようにキリスト教概論やキリスト教倫理などの講義も設けられ、聖書に示す「隣人愛」を基本精神に置いた。学長は聖路加看護大学教授を経て浜松衛生短期大学学長を務めたわが国看護教育の第一人者である吉田時子が就任した。四年間の専門教育を受けた一期生は看護婦(士)として聖隷浜松病院などに六十九名、保健婦(士)として静岡市などに十七名、さらに大学や短大の専攻科などへの進学者が十名、その他三名を数えた。同大学は平成十年四月に大学院を設置、同十四年には校名を聖隷クリストファー大学と改称、これまでの看護学部に加えて新たに社会福祉学部を開設、これまであった浜松衛生短期大学を看護短期大学部に改組している。聖隷准看護婦養成所を開設してから聖隷クリストファー看護大学開学まで一貫して看護教育に尽力した長谷川保は平成六年四月に静かに召天した。聖隷クリストファー大学内には聖隷歴史資料館があり、長谷川保や聖隷関係の医療、社会福祉、教育に関する貴重な資料が展示されている。