[教育文化会館の開館と余裕教室開放]

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【浜松市教育文化会館 はまホール】
 アクトシティ浜松に大・中の二つの立派なホールが完成したのを機に、これまでの浜松市民会館は平成七年四月一日に浜松市教育文化会館と名称を変更し、リニューアルオープンした。同時に付けられた愛称は感性豊かな浜松の子供たち(はまっ子)を育てる拠点にしようとはまホールとした。このことから、はまホールは主に青少年の教育文化の振興のための施設とし、幼稚園の生活発表会、小中学校の合唱コンクール、高校の合唱や吹奏楽、演劇などの発表会・大会などに使用された。学校や社会教育団体などは使用料が低額となったためその利用が増えていった。改装に当たっては練習室や楽器保管庫などを設置するなど、利用者の便を図った。
 平成七年四月九日、公立の楽器博物館としては国内初の浜松市楽器博物館と研修交流センターが開館した。前者については第九節で述べる。後者は演奏会や練習が出来る音楽セミナー室や研修交流室が設置され、また、特許情報などを提供する産業情報室も設置された。
 
【空き教室】
 昭和六十三年九月の市議会で空き教室問題が取り上げられた。この年度において空き教室は小学校五十四校で二百七十四教室、中学校二十三校で八十七教室に上っていることが分かり、市教委はこの活用の検討を始めた。この結果、市内二小学校の各二教室に吸音板を取り付け、カーペット張りとし、冷暖房装置を入れることにした。また、学校施設と区分するためシャッターも取り付けた。こうして平成元年九月一日から和田と瑞穂の両小学校で余裕教室開放事業がスタートした。主な利用対象は音楽練習会場と地域の会議や研修の場とした。開放日は金・土・日・月曜日で、日曜日は午前、午後、夜、ほかの日は夜だけ開放された。使用料は冷暖房費と電気代で一区分三百円であった。これ以後、多くの学校でこの事業が行われるようになり、これを使って外国人児童への学習指導も始まった。