[戦後復興の終盤]

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 戦後復興の計画実現がバブル経済の崩壊後にずれ込んで、復興を果たした寺院の例として二つ挙げる。
 
【蔵興寺】
・蔵興寺
 蔵興寺(臨済宗方広寺派・新橋町)である。同寺は昭和二十年六月十八日の浜松大空襲の際に焼失し、仮本堂のままであったが、その本堂を約二億円の予算をかけて再建したという記事(『静岡新聞』平成三年十月六日・同五年十月二十五日付)が掲載されている(平成五年十月二十四日落慶)。この蔵興寺は市民から本尊の虚空蔵菩薩に因んで虚空蔵様と呼ばれている。毎年二月十三日の大祭を機に開催される願掛けだるま市(二月十一日・十二日・十三日)の人気が高く、「家内安全」「商売繁盛」のほかに、受験生に親しまれ、笠井町の福来寺(浄土宗)のだるま市と並んで有名である。
 
【頭陀寺 鈴木幸治】
・頭陀寺
 都市計画の区画整理(昭和四十五年)の結果、古刹、頭陀寺(高野山真言宗・頭陀寺(ずだじ)町)の寺域は公道によって境内側と墓地側とに二分されてしまった。この寺域の結構を統一された景観として演出するために、白壁の塀(境内側)とさび付けされた鉄の塀(墓地側)とを配置し、融合を図った(平成十年五月完成)。この塀について平成十年四月二十九日付の『静岡新聞』記事では、地元出身の建築家鈴木幸治の作品として紹介されている。