神事

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 先に見た如く、仏教関係ではこの時期に建設記事が多く見られたが、神社関係の建設記事は多くない。
 
【以心館 河合九平】
 『静岡新聞』(平成七年五月二十二日付)の記事(以下、掲載年月日のみ表記)では、楊子町の六所神社の境内に社務所と同町集会所として建設されていた複合施設「以心館」の落成式が挙行されたという記事が見える。近世では楊子村庄屋を務めた柳川以心の子孫柳川ふじゑの寄進によるもので、落成式にはその娘婿に当たる河合九平市教育長も出席した。
 平成十三年七月二日付記事では、静岡県が昭和四十五年から進めてきた都田川の河川改修工事で、最終段階となる都田町内の工事区域にある白鬚神社と平八稲荷が、地元住民の要望で移転保存されることが決定されたと報じている。平成十四年十一月十七日付の記事では、平八稲荷の入魂式があり、水防への祈りを新たにしたという。なお、白鬚神社は平成十六年に平八稲荷の隣に遷座された。
 
【須倍神社】
 平成十四年十月十一日付記事によると、都田町の須倍神社では八日未明の火災で築百年という農村舞台が焼失した。以前からの度々の不審火があったので警備体制を整えた矢先であった。例年、十月の祭典では恒例の歌舞伎やバンド演奏等の演目が楽しまれていたから、平成十四年の祭典準備の相談では仮設舞台を設営することに決定した、と報じている。町民の舞台復興への熱意が汲み取れよう。
 
【農村歌舞伎】
 西遠北部の各所、浜名湖の東南岸地域の宇布見や舞阪など、近世以来の地芝居興業を催してきた地区がある(『引佐町史』民俗芸能編、『浜北市史』通史 上巻、『舞阪町史』上巻参照)。今日に伝承される芝居の一つに須倍神社の農村歌舞伎がある。これは研究者の間でも著名なもので、舞台機構、演劇外題、舞台衣装等について早くから芸能史研究者の対象となっていた。それは芸能発生の場所としての歴史的現在を顕在化させる意味からも、この舞台の放火焼失は惜しまれるし、本格的な舞台再建が望まれ平成十五年の祭典には舞台の再建がなされた。