【浜松茶農協】
平成九年五月二日付記事では、利町(とぎまち)の五社神社 諏訪神社へ初摘み茶の献上という記事が見える。この行事は早くに昭和三十七年五月二日、八十八夜にちなんで新茶を神前に供えたのであるが、本書記述の区切りである平成十六年まで、その五月初旬には、毎年の如く報道されている。平成九年五月二日付記事の場合では、献茶式には浜松茶農協の後継者でつくる浜松茶手もみ保存会(長谷寿一会長)が用意した初摘み茶三百グラムが、浜松茶農協の川合富雄組合長やJAとぴあ浜松の高林勇組合長、栗原勝浜松市長など、三十人が出席して献上されている。
平成十三年五月二日付記事では、その浜松茶農協に参加する生産者は浜松市、浜北市、細江町、引佐町であることを記している。新茶を神前に供え、浦安の舞を奉納し、収穫への感謝と茶業の発展を祈願した。また、浜松新茶まつり会の会長北脇保之浜松市長の挨拶の後、新茶が出席者に振る舞われた。
【沖村昭夫】
なお、『浜松茶農業組合二十周年記念誌』(平成二年刊)によれば、経営の概況のアンケート「(1)茶園面積その他」の項目につき、各地組合員(六十一名)のほとんどが、自園を経営し、その上で買葉も加工する製茶工場を経営している。さらに卸売、小売もしている。これを総括して細江町の沖村昭夫組合員は「茶業としての特質は、一次産業に始まり、二次、三次産業の分野まで及ぶ経営形態」と記している。
他方、葉茶ではなく、煎茶を点じて五社神社 諏訪神社神前に奉納するという記事は、恒例ながら平成十三年九月十一日付、同十四年九月十六日付、同十六年四月六日付などに見えている。これは煎茶道の松月流遠州支部(市川甫翠支部長)が毎年秋に開く行事で、年度によって八十八夜に摘まれた掛川・磐田・天竜産の茶が使い分けられている。拝殿で松月流の渡邊宗敬家元が点茶し神前に供えるものである。なお、平成十六年四月六日付記事では、季節を変えての茶会を試みている。
そのほか一般的に、神社神前に奉納する技芸、祭礼などの例は多くあるが、以下に技芸、武術、祭礼の順で例を挙げる。
【針供養】
平成五年二月九日付記事では、二月八日、五社神社 諏訪神社に裁縫の上達を願う針供養があったと報じた。これは日本和裁士会西部支部(大野三吉代表)が実行した。この行事は近世以来の伝統があり、折れたり曲がったりした針を豆腐やこんにゃくに刺し、感謝を込めてまつり、併せて技芸向上を祈願するものである。
【居合道】
平成十四年二月十一日付、同十五年二月十八日付、同十六年六月七日付記事では、五社神社 諏訪神社で、浜松市内の居合道(いあいどう)の愛好者が結成した無双直伝英信流浜松居合道研修会(河方聖翔会長)は奉納演武を行ったと報じた。この同会が結成されたのは平成十年で、毎週木曜日に元城町の市体育館で練習していた。初めて五社神社 諏訪神社で奉納演武を行ったのは、平成十四年二月十日であった。この日参加した会員は中学生から八十三歳までの二十五人。居合道独特の型を奉納した。居合道は敵の襲撃から身を守る「護身の刀法」で、現在では自己研鑽、礼儀作法を学ぶための七十種類以上の型が伝えられているという。その源流の居合術は『日本史広辞典』によれば、座ったまま機に応じてすばやく刀を抜き、敵と立ち向かう剣法である。居合を本体とする流儀は、戦国末期に出た林崎重信が創始した神明夢想流を中心に展開した。流派は二百を超えるという。江戸時代は武士のたしなみとして修練された。明治期以降居合道として定着し、昭和二十九年に全日本居合道連盟が結成されたという。
【蒲神明宮】
浜松市内の神社の祭礼記事は、紙上に多々報道されるが、戦後といえども、その秋の祭典に参加する地域の多さと屋台の華麗さ、神社経済については九世紀初頭以来の歴史を誇る神立町の蒲神明宮に指を屈しよう(『浜松市史』四 第二章第四節第一項参照)。他の町の例を挙げる。
平成五年八月二十三日付記事では、西ケ崎町の八幡神社で地域住民の運営による祭典が開かれたと報じた。屋台引き回し、じゃんけん大会、新生児のお祓い、もち投げなどが催された。同町には昔からの住民と他地域からの転入家族が混在し、約千世帯が住む町となってきた。新旧住民の意思疎通を図るべく、「町の活性化と若者の自治会活動への参加を願い、温かさのある祭りにしよう」を合い言葉に、旭、沖、中、上の四つの自治会が合同で「祭典実行委員会」を結成して準備を進めたのである。これまで各自治会ごとに行われた余興を今年初めて合同で執行することになったという。八幡神社の祭典が各自治会を横結させ、若者に向けて自治会参加を促す契機となっている点が注目される。大きな経済変動を経験した日本社会で、住民の新旧混在や新興地域における宗教意識とはいかに展開するのか、それは一地方都市での例証たり得るか、関心が持たれよう。
平成十四年九月二十三日付記事によれば、坪井町の稲荷神社祭典で引き回す屋台の大太鼓を住民らが二十年ぶりに新調し、十月の祭典に先立って、九月二十二日に同神社境内でお披露目があったことを報じた。太鼓の直径は約二・二メートル、長さ約二・三メートルで、町内を引き回す屋台に乗せた。神社には自治会や青年団、中老会の会員が集まり、神事と鏡開きの後、太鼓のたたき初めを行った。そのバチの長さは約一メートルほどである。