あまりにも異常な資産価格インフレ(地価、株価の上昇)を抑制する目的で金融政策の転換が行われ、日本銀行は史上最低と言われた二・五%の公定歩合を段階的に引き上げていった。公定歩合は平成元年五月から五回にわたって引き上げられ、平成二年八月には六・〇%に達した。さらに、同年四月には、異常な地価の上昇を抑えるために土地取引に対する総量規制が実施され、金融機関から不動産業界への資金の流れが大幅に規制された。このような金融面からの引き締め政策に加え、地価税の導入や土地譲渡益課税の強化などの課税面からの締め付けも行われバブルは崩壊していった。平成元年十二月に三万八千九百十五円のピークをつけた日経平均株価は急落し、同二年十月には、一時二万円割れを起こした。また、地価は株価の下落に一年ほど遅れて平成三年の後半から急落していった。これにより、不動産融資の焦げ付き、投資有価証券の下落、土地や株の含み益(簿価と時価の差)を担保とする融資の担保割れ、融資先企業の事業不振、対個人ローンの焦げ付きなど、地価と株価の上昇を前提とした金融上の問題点が一挙に明るみに出てきた。その結果、大量の資金を貸し付けていた金融機関は多額の不良債権を抱えることになった。
【不良債権】
大蔵省は、当初(平成四年四月)都市銀行・長期信用銀行・信託銀行の不良債権を七~八兆円、回収不能な債権を二~三兆円と公表していた。ところが、同年十月には十二兆三千億円に修正、回収不能な債権も四兆円に上ると発表した。その後、証券・金融スキャンダルが相次いで発生(富士銀行、東海銀行で不正融資、東洋信金で巨額架空預金発覚など)、平成五年には住宅金融専門会社(住専)の多額の不良債権問題が表面化した。住専とは大手銀行がバブル時代に設立した、いわゆるノンバンク(預金を預からない金融機関)で、銀行から借り入れた資金を原資として個人向け住宅ローンや不動産、建設などの中小企業へ融資を行っていた金融機関である。銀行と共に住専へ融資していた中に農林系金融機関(農協)が含まれていたため、政治決着が行われ六千八百五十億円の税金が投入されることになった。これに対して「住専の付けをなぜ国民が負うのか」という政府非難が高まった。この後、政府は不良債権処理のために公的資金を導入することに慎重になり、不良債権問題の解決を遅らせる一因となった。
一方、静岡県内の地方銀行は、貸出先の七割近くが県内で、地元重視の融資姿勢をとっていたため、バブル崩壊によって抱えた不良債権も、都市銀行に比べると比較的少なかった。平成十年五月に公表された県内地銀五行の決算状況(表4―14)を見ると、五行合わせた不良債権額(リスク管理債権額)は二千六百七十四億三百万円に上っているものの、各行とも不良債権処理は大きなヤマ場を既に越えていた。各行とも株式や国債の売却で不良債権の処理を行い、資産の健全化を図ったため、自己資本比率は五行全てが基準(BIS基準は八%以上、国内基準は四%以上)をクリアした。特に、静岡銀行は邦銀のトップクラスを維持した。世界三大格付け機関の一つ、フィッチIBCA(米国)の財務格付けによると、静岡銀行の財務の強さは「B/C」(上位から四ランク目でBとCの中間に位置する)となり、「健全な信用力を有し、特段問題を抱えていない」と「十分な信用力を有しているが、一つないし複数の問題点を有している」との中間的評価となった。農林系金融機関のJAとぴあ浜松は平成十一年度で約十六億八千万円の不良債権を抱えたが、不良債権比率は〇・九一%、自己資本比率は十三・五九%で、比較的健全な経営体質であった。
表4-14 県内地銀5行の決算状況(平成10年3月期決算) (単位:百万円)
静岡銀行 | スルガ銀行 | 清水銀行 | 中部銀行 | 静岡中央銀行 | |
経常収益 | 304,304 (3.8) | 114,229 (6.4) | 48,502 (11.2) | 18,447 (▼12.7) | 10,652 (▼9.8) |
業務純益 | 43,970 (1.1) | 32,356 (23.5) | 14,758 (38.6) | 3,315 (▼24.8) | 1,855 (▼26.9) |
経常利益 | 40,633 (15.4) | 4,258 (50.45) | 4,286 (▼25.8) | 681 (-) | 826 (▼37.7) |
当期利益 | 16,398 (▼17.6) | 1,219 (▼4.3) | 574 (▼80.2) | 268 (-) | 601 (65.5) |
リスク 管理債権 | 134,441 (2.68) | 82,196 (4.08) | 21,026 (2.69) | 27,458 (6.09) | 2,282 (0.78) |
自己資本 比率 | 13.45 (BIS) | 9.74 (BIS) | 10.47 (国内基準) | 5.71 (国内基準) | 10.80 (国内基準) |
注:▼は減、かっこ内は前期比(%)。
注:リスク管理債権のかっこ内は貸出金残高に占める比率。
【地価】
次に、地価の動向がどのように変化していったかを見ることにしよう。市中心部の地価上昇のピークは平成三年で、特にJR浜松駅周辺では駅前大規模再開発事業(アクトシティ構想等)の影響で著しい地価の上昇がみられた。同年の路線価で見ると、市内の最高価格は鍛冶町の松菱百貨店前鍛冶町通りが前年(平成二年)比三十三・一%アップの四百七十四万円(一平方メートル当たり)を記録した。このような高値は東京や大阪の業者が介入することによって、土地取り引きが完全に売り手市場になったためであった。このような地価の高騰のあおりを受けてビルのテナント料が上がり、中心商業地を敬遠する動きも出てきた。
ところがバブル経済が崩壊すると、一転して地価が下落し始め、平成五年の基準地価では商業地の平均が前年(平成四年)比十五・七%も下落した。特に田町や肴町などの繁華街では前年比二十五%以上も下落し、実勢価格は公示価格の四割も低い価格になった。一方、住宅地でも平均で前年比五・八%の下落で、佐鳴台・蜆塚・富塚町など、従来地価水準の高い所で下げ幅が大きくなった。その後も地価の下落傾向は止まらず、平成三年に最高路線価を付けた松菱百貨店前は、平成八年には一平方メートル当たり二百六十万円へ、平成十年には百七十五万円へ下落した。商業地を中心にした大幅な地価の下落は中心商店街の地盤沈下に拍車を掛けた。JR浜松駅を中心に様々な再開発事業計画があるものの、土地資産価格の下落は地元商業者の設備投資意欲を冷え込ませる原因にもなった。