[金融機関の破綻と金融再生法]

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【金融機関の破綻】
 バブル崩壊後、毎年のように金融機関が破綻し、平成九年までに三十余りの金融機関に上った。その多くは信用金庫、信用組合、第二地銀が中心であったが、平成九年十一月、都市銀行の一つである北海道拓殖銀行が、さらに四大証券の一つである山一証券が破綻した。これは世界のトップニュースにもなり日本発の世界恐慌も危惧された。
 浜松においても市内中心部に出店していた三洋証券と山一証券が破綻した。三洋証券は、平成九年十一月三日に会社更生法の申請を行い事実上倒産した。このため三洋証券浜松支店(鍛冶町)には、株券を預けている顧客や中期国債ファンド、MMF(譲渡性預金やコマーシャルペーパーといった短期金融商品を組み込んだファンド)、外債などを購入している顧客が殺到した。また、同年十一月二十四日に自主廃業を決めた山一証券浜松支店(鍛冶町)にも、翌二十五日株券や債券、投資信託などの返還や解約を求める顧客が殺到した。相次ぐ破綻によって一時的な混乱を招いたものの、国が顧客の資産を全額保護することを約束したため金融パニックには至らなかった。その後、旧山一証券浜松支店はメリルリンチ日本証券に店舗と従業員の一部を引き継がれた。このような米国大手証券の進出は、自由化と国際化に向かう金融改革の進展を象徴する出来事でもあった。
 日本銀行は、このような金融機関の連鎖的破綻を防ぐために日銀特融を発動した。しかし日銀特融はあくまでも短期的措置に過ぎず、金融危機を本質的に防ぐことは出来なかった。金融システムの不安を解消するためには、不良債権処理の仕組みや金融機関再生の仕組みを作り上げることが必要である。平成十年、政府はようやく制度改革に踏み切ることになった。
 平成十年二月、いわゆる金融二法(改正預金保険法と金融機能安定化緊急措置法)が成立し、これにより①金融機関の破綻時に預金を全額保護する、②金融機関の自己資本充実などに公的資金を投入できる仕組みを作った。次に、同年十月に金融再生関連八法、早期健全化法を成立させた。これは①銀行が破綻したり、破綻の恐れがある場合、預金保険機構が株式を一時的に所有し、金融再生委員会が不良債権を整理した後、民間銀行へ売却する、②金融再生委員会は総理府の外局として設置し、破綻処理を担当する、③早期健全化法により金融機関の自己資金充実のために公的資金を投入するなどである。これにより預金者保護と金融機関の自己資本充実のために合計六十兆円の公的資金投入枠が用意された。
 平成十一年には、大手銀行十五行に、優先株(議決権はないが、配当を優先的に受け取れる株式)を買い取るという方法で約七兆五千億円の公的資金が注入され、その後、地方銀行にも同様の措置が取られた。このような措置により、一応、金融機関の連鎖的破綻を回避することが出来たのである。
 平成十四年四月、平成八年以来凍結されていたペイオフ制度(銀行が経営破綻した場合に一千万円までの預金を保護する制度)が解禁された。凍結されていた理由は、不良債権を抱えて立ち行かなくなった金融機関が破綻するとペイオフが発動され、金融システム全体への信頼が一気に崩壊する可能性があったからである。しかし、平成十三年頃になると不良債権の処理も進んだとの認識から解禁することになった。これにより、定期預金から普通預金への転換や預金者の銀行選別の動きが活発になっていった。浜松市はペイオフ解禁対策として、①預金(約四百八十五億円)を借入金と相殺する、②安全性の高い国債、地方債、政府保証債などの債券を運用する、③自己資本比率が高く、格付けの良い金融機関を選別するなどの対応をとることにした。民間では、多額の修繕積立金を抱えているマンション管理組合も対応が迫られた。市内には多くのマンションがあり、それぞれの管理組合では、預金の分散化、安全な債券での運用、普通預金への移し替えなど、様々な対応がとられた。