バブル崩壊後の不況(以下、平成不況)を長期化させた原因の一つは金融制度にあった。また、経済のグローバル化が進む中でわが国の金融制度は、それに充分対応する力を持っていなかった。そこで、従来の護送船団方式と言われた規制を中心とした金融システムを根本的に改革することになった。平成八年十一月「我が国金融システムの改革~二〇〇一年東京市場の再生に向けて~」と題する改革案が提案された。この改革案において、①次世代の成長産業へ資金供給を行う場合、一千二百兆円の個人貯蓄の活用が不可欠である、②わが国の金融市場をニューヨーク、ロンドンに匹敵する国際金融市場に再生する必要があると述べ、金融市場の構造改革を成し遂げなければならないとした。改革の基本原則を①市場原理が働く自由な市場(Free)、②ルールの透明化・明確化・投資家保護(Fair)、③グローバル化に対応した法制度・会計制度、監督体制の整備(Global)の三つを掲げ、市場原理を基軸とした透明な金融行政の実現を目指した。
【金融ビッグバン】
このような狙いを持った日本版金融ビッグバンの下、平成十年の外国為替及び外国貿易法(外為法)の改正(四月)を手始めに、次々に制度改革が行われていった。同十年には、銀行等による投資信託の窓口販売の解禁、証券デリバティブの全面解禁、証券会社の免許制から登録制への移行、金融監督庁の設置、金融持ち株会社の解禁などが実施され、さらに同十一年には、株式売買委託手数料の自由化、銀行系証券子会社の業務範囲制限の撤廃、有価証券取引税の廃止が、同十二年には、保険と銀行の相互参入の全面解禁などが行われた。
【金融業界の再編】
金融の制度改革に伴って、金融業界の大幅な再編が行われた。再編を促した要因は、金融持ち株会社の解禁(銀行の持ち株会社は、子会社として銀行、証券会社、信託会社、保険会社などの金融機関のみを保有できる)という制度改革が行われただけでなく、不良債権の重圧に追い込まれたために再編せざるを得なかった側面もあった。
平成十四年四月、富士銀行・第一勧業銀行・日本興業銀行は、みずほフィナンシャルグループの下で、みずほ銀行に名前を変えた。これに伴い、浜松市内においても第一勧銀浜松支店と富士銀行浜松支店が統合され、みずほ銀行浜松支店(旧富士銀行浜松支店)として再スタートした。
みずほ銀行以外では、わが国の大手銀行は平成十五年までに、三菱東京グループ、三井住友グループ、UFJグループ、りそなグループの五大グループに集約された(平成十八年には三菱東京とUFJが統合し三菱東京UFJ銀行が誕生し、みずほ銀行と三井住友銀行とともに三大メガバンクと呼ばれるようになった)。UFJ銀行の誕生(平成十四年一月)により、市内にあった東海銀行浜松支店はUFJ銀行浜松支店に、三和銀行浜松支店はUFJ銀行浜松中央支店に衣替えをした。また、さくら銀行浜松支店は三井住友銀行浜松支店となった。