[産業の空洞化と外国人労働者の増加]

1009 ~ 1012 / 1229ページ
【グローバル化】
 平成元年のベルリンの壁崩壊に端を発した社会主義体制の崩壊は、旧社会主義諸国を市場経済へ復帰させ、さらに、中国の改革・開放路線の定着、東アジアの新興経済国の急速な発展によって世界市場は一挙に拡大していった。このため、拡大した世界市場を目指し、先進国の企業は急速にグローバル化を推し進めていった。このグローバル化の中心の一つは東アジア市場の拡大であった。NIES(新興工業経済地域)と呼ばれる韓国、台湾、シンガポール、香港が急速に成長し、その後、中国・ベトナム、さらにインドが目覚ましい経済成長を見せた。
 このグローバル化の現代的特徴はどのようなところにあるのか。その一つは高度情報技術が産業基盤に変化をもたらすと同時に、商業、金融、サービス業などにも技術的インパクトを与えた。第二に、企業が世界的な活動を高め、製造業の多くの分野で海外進出が拡大していった。第三に、労働力の国際移動が拡大した。第四に、これら三つの変化に伴い、資金、金融の世界的な移動と連動性が高まっていった。
 
【空洞化】
 このような経済のグローバル化が、産業都市浜松にどのような影響を与えたのか。最も大きな影響は生産拠点の海外移転であり、円高以降では、大手企業だけでなく中堅企業や中小企業でも海外進出を行うようになった。平成七年に地場産業振興センターが実施した空洞化に関する調査(『静岡県西部地域における産業空洞化の影響及び対応に関する調査報告書』)結果(二百六十八社の回答)によると、親企業や納入先の企業で「海外移転の動きがある」と答えた企業は約六割に達し、「海外からの製品・部品調達拡大の動きがある」も五割を超えた。また、「国内企業との取引を削減する動き」(約三割)や「県内工場縮小の動き」(約二十五%)を挙げる企業も多かった。産業の空洞化による影響については八割以上の企業がマイナスの影響と捉えた。今後の空洞化の進展についても、八割を超える企業が「さらに進んでいく」と回答している。地域の中堅企業や中小企業は産業の空洞化について危機意識を持っていることが分かった。
 
【海外生産移転 コストダウン】
 また、平成十五年三月に遠州生産性協議会がまとめた『海外生産移転に伴う影響調査報告書』(調査対象は機械金属加工系の製造業者など、有効回答数は二百四十八社)においても、遠州地方では七割弱の企業が生産拠点の海外移転が「進んでいる」と回答している。特に、戦後の地域経済をリードしてきた自動車や二輪車などの輸送機械工業では生産拠点の海外移転を拡大しているため、八割以上の企業が生産の海外移転が「進んでいる」と回答している。また、主な受注元や販売先が、海外に生産拠点を「持っている」とした企業は七割に上り、そのうち八割近くが中国への移転であり、移転時期では一九八〇年代、一九九〇年代に多いのが特徴的である(表4―16参照)。大手企業による生産の海外移転は、地元の中小企業や下請企業に、より一層のコストダウンを要求するようになった。約七割の企業が「低価格化・コストダウン」を求められ、約四割の企業が「受注量の減少、契約終了」といった事態に追い込まれた。そのためコスト削減策として、社内のリストラや経費の見直しを迫られる企業が増えていった。
 
表4-16 取引先の海外生産移転の時期と移転先 (単位:社)
進出期間
合計
企業数
中国
インドネシア
米国
台湾
欧州
マレーシア
ベトナム
韓国
フィリピン
その他
1970年以前
22
16
16
17
15
20
9
9
6
7
9
1970年代
15
15
14
11
10
10
9
9
3
5
6
1980年代
49
42
25
29
22
25
16
9
10
7
11
1990~1995年
41
32
29
23
21
16
11
8
5
4
11
1996~2000年
34
25
11
9
13
4
5
1
4
4
4
2001年以降
5
2
2
1
1
0
0
0
3
0
2
全期間
176
139
101
96
86
79
51
38
32
28
47
出典:『海外生産移転に伴う影響調査報告書』遠州生産性協議会より作成
注:進出時期を不明とする企業もあるため、各時期の合計企業数は全期間の企業数に一致しない。

 
 このような海外生産移転の進展が地域経済に、「生産量の減少」「雇用者数の減少」「設備投資機会の減少」といった影響を及ぼした。戦後、輸送機械工業を中心に発展してきた浜松は、経済のグローバル化に伴い産業の空洞化といった事態に追い込まれたのである。
 
【外国人の増加】
 グローバル化が地域に与えたもう一つの影響は外国人の増加で、平成八年十月末には外国人登録者数が一万三千人を突破した。その内訳を国籍別で見るとブラジル人が最も多く、七千六百八十七人、韓国または朝鮮民主主義人民共和国二千十九人、中国七百九十一人、ペルー七百十三人、フィリピン七百二人、ベトナム三百二十七人、インド八十六人などの順になっている。特に、ブラジル人が多いのは平成二年に入管法の改正が行われ日系三世までの日系人とその配偶者の滞在・就労制限が大幅に緩和されたため、平成元年に百四十六人だったブラジル人は平成三年四千七十二人、平成四年六千百三十二人に急増し、平成十年三月末には一万八十六人と一万人台を突破した。増加の背景には主として自動車産業の働き手として雇い入れるケースが多く、円高傾向の時には賃金の高い日本人に代わって、外国人を雇う企業が多かったことが挙げられる。同六年以降の円安傾向の下でもブラジル人が増えていったのは、自動車産業を中心に輸出が好調で、労働力不足を補うため雇用を拡大したためである。今後、地域社会にとって、外国人との言語や生活文化の違いを、どう乗り越えていくかが大きな課題である。