[西武百貨店の撤退と松菱の破産]

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【西武百貨店の撤退】
 平成九年十二月、西武百貨店浜松店は二十六年の歴史を閉じ、浜松から撤退した(『新編史料編六』 五産業 史料37)。同百貨店は松菱百貨店に次ぐ売り場面積(二万二千五百平方メートル)を保有し、都市型百貨店として浜松市民から支持されていた。しかし、郊外型大型店の進出や駅前に集中した大型店の開店に伴って、顧客の流れが変わり、同百貨店が中心部の西端に取り残される状態になった。西武百貨店の撤退は中心商店街の地盤沈下に拍車を掛けることとなった。同店の従業員二百二人のうち百二十三人は他店などに異動し、七十九人が退社した。
 
【松菱の自己破産】
 さらに、浜松市民を驚愕させた出来事は老舗百貨店松菱の自己破産による閉店であった(『新編史料編六』 五産業 史料39)。松菱は平成十三年十一月十四日、静岡地裁浜松支部に自己破産を申請し、六十四年の歴史に幕を閉じた。負債総額は三百二十八億円(子会社二社も含む)に達し、従業員二百七十人も全員解雇されることになった。自己破産の直接的なきっかけは、買い物券やプリペイドカードを交付する子会社松菱友の会からの借入金の返済が出来なくなったためである。同店は地元のデパートとして浜松市民にとって特別な存在であった。昭和十二年に浜松初のエレベーター付き百貨店として開店、また戦後、戦災によって焼け野原になった中心部で生き残った同店は市民の復興のシンボルになった。さらに、高度成長期においても浜松市民の消費スタイルをリードする存在であった。また、メイワンや遠鉄百貨店の開店によって駅前周辺に顧客の流れを奪われてきたため、その対抗策として平成四年には新館の建設(地下一階、地上十階)と既存本館の改装を行い、県内最大の百貨店に成長してきた。しかし、郊外型ショッピングセンターの相次ぐ出店、モータリゼーションの進展などにより、顧客の中心街離れが加速し、それに中心街における大型店の過当競争が加わり、経営不振が続いていた。松菱の破産は地域経済や雇用に悪影響を与えるだけでなく、空洞化しつつある中心商店街の活性化策にも深刻な影響を与えることになった。