【ザザシティ】
中心市街地から大型店や百貨店が相次いで撤退したため、西武跡地の地権者らでつくる浜松中央西地区再開発組合は平成十年一月、組合設立の認可を受け、店舗、住宅、駐車場の入る十九階建ての複合ビル建設を目指した。一方、中央西の東隣にある中央地区再開発組合は店舗、公共施設、住宅の入る十四階建てビルの建設を目指し、西館とのツインビルを構想した。この二つの組合の再開発構想はザザシティ建設構想として成就していった。ザザシティ浜松構想は、既存の松菱百貨店を第一の核とし、さらに西武の跡地に第二の核である西館を建設し、この二つの核を中央館で結び付け、三つの施設を地階や中間階で連結し、一つの街としての一体性をつくり上げようとするものであった。西館は地下一階、地上十五階の建物で、日本トイザらスやユニクロなど、全国的に有名なテナント十四店が入り、さらに九面のスクリーンを備えたシネマコンプレックスや食品スーパー、生活雑貨などの店が入居し、地上八階から十五階の上層部には分譲マンション五十四戸を配する複合施設である。また、松菱と西館を結ぶモールの役割を担う中央館は地下一階、地上十五階で専門店や県・市の公共施設が入り、都市型多機能複合施設として建設されることになった。
このザザシティハママツは平成十二年十一月に、まず西館がオープンした。翌年(平成十三年)十一月には、中央館がオープンし、松菱と連絡通路で連結する予定であったが、ザザシティハママツのグランドオープン(十一月二十二日)を目の前に控えた十一月十四日、松菱百貨店は倒産した。これにより、中心街の地盤沈下に歯止めをかけ、「ザザっと寄せる波のように、人が集う施設」としてのザザシティ浜松構想は大きな打撃を受けることになった。