平成二年二月、浜松市は浜松地域テクノポリス都田開発区の第一次内定企業(四十一社)に対して分譲区画を決定した。最大区画は浜松ホトニクス(本社・浜松市)の約七・六ヘクタールで光技術の研究開発を行うことになった。そのほか、主な分譲区画は、進出内定第一号の高岳製作所(本社・東京都)で五・三ヘクタール、河合楽器製作所(本社・浜松市)は二・七ヘクタール、ローランド(本社・大阪市)は、子会社ローランドディー.ジー.(本社・浜松市)と合わせて三・七ヘクタールとなった。また、第一次内定で進出が決まっていた日本電波(本社・東京都)は海外進出を理由に辞退し、代わって進出した興和(本社・名古屋市)が七・一ヘクタールを確保し、電子・光技術の研究開発と製品の製造を行うことになった。第二次分譲区画(十三区画)は、同年九月に決定された。第二次分譲での進出企業は、鈴木自動車工業(本社・浜名郡可美村)や一般機械器具製造のアマノ(本社・横浜市)など単独企業十社と都田テクノパーク(十二社)、テクノサーチ(五社)の二組合となった。これにより第一次分譲四十社と合わせると六十七社の進出が決まった。
産学官の技術交流拠点として計画されてきた静岡県浜松工業技術センターは平成三年四月に完成した。同センターは浜松繊維工業試験場と機械技術指導所を統合し、光・電子系の研究部門を新たに加えた施設で、特に中小企業の技術の高度化や開発を目的にしている。また、産学共同研究の拠点になる静岡大学地域共同研究センターは平成五年十月に完成し、民間企業との共同研究などを行うことになった。これによりテクノポリス都田開発区への進出企業や中核施設が一応出そろうことになった(『新編史料編六』 五産業 史料82参照)。
しかし、企業の進出は、必ずしも順調に進んだわけではなかった。バブル崩壊以降の不況の長期化に伴い業績が悪化したため、新たな設備投資を控える企業も出てきた。平成五年二月段階で未着工企業が十七社に上った。このうち大手アパレルメーカーのカインドウェア(本社・東京都)は、景気低迷による業績の悪化などを理由に撤退することになった。同社は第一次分譲で一区画を取得し、アパレルに関する総合研究や社員の研修教育を計画していた。浜松市は、従来、用地取得条件として用地取得後「三年以内の操業」を課し、この条件に違反した場合は違約金(土地代金の十%)を徴収することにしていたが、企業にとって予想以上の厳しい経済環境を考慮し、「三年以内の建設」に条件を緩和し、ペナルティを科さないこととした。
平成九年九月、浜松地域テクノポリスは企業用地六十八区画が全て完売し、全国的にも珍しいケースとなった。全国のテクノポリス(二十六地域)は、バブル経済崩壊以降の平成不況下で厳しい状況に置かれている地域が多く、企業用分譲地も六割程度しか埋まっていないところが多かった。
平成五年九月、浜松地域テクノポリスの拠点となる都田地区の土地区画整理事業が完了した。同事業は昭和六十一年にスタートし、約七年の歳月をかけ、用地取得費を含めた総工費約五百億円を投下し、二百四十三ヘクタールの土地区画整理を行った。事業の主な内訳は企業用地、住宅用地、道路、公園、緑地、小学校用地などの整備である。そのほか、都田テクノポリスへのアクセス道路として、市街地と結ぶ中ノ町都田線や横尾線を整備した。将来的には第二東名とも結び、現東名と合わせて高速道路とのアクセスの良いテクノポリスを目指した。
平成五年九月現在、進出企業六十八社のうち四十八社が操業しており、十一社が建設中である。住宅では二百九十四戸が完成し、平成十年には千七百世帯、約五千五百人が入居すると見込まれた(『静岡新聞』平成五年九月三日付)。ただ、長引く不況のせいか、同十年九月現在では千二百五十五世帯、三千九百六人にとどまっていた。
【テクノランド細江 浜北リサーチパーク】
そのほか、浜松地域テクノポリスの一翼を担う協同組合テクノランド細江は、平成三年五月に完成した。総面積は三十四ヘクタールで、そのうち工業用地は約半分の十八・五ヘクタールを占めている。テクノランド細江は異業種交流を目的とした中小先端技術産業の工業団地で研究開発型企業十五社からなる産・住一体化した先端産業開発区である。また、浜北リサーチパークは県の企業局が昭和六十一年から造成を始め平成四年二月に完成した。このリサーチパークは光産業技術の開発拠点と位置付けられているため、用地の多くを浜松ホトニクスが取得、平成二年一月には同社は中央研究所の研究棟を完成、さらに平成四年二月にはPET(陽電子放出断層撮影)棟を完成させた。
【内発型テクノポリス】
浜松は地方工業都市でありながら集積規模は大きく、質量ともに充実し、開発型の中小企業もある程度の数に達している。そうした意味で浜松はテクノポリスのモデルとして全国から注目された。浜松地域テクノポリスの特徴は、明治以降、複合的な産業を発展させ、それらを基盤に新たに派生してきた電子楽器産業、光産業、メカトロニクスなどを中心に先端産業化を推し進めるという「内発型テクノポリス」を目指すところにある。従って、テクノポリス指定を受けたほかの多くの地域のように、初めからハイテク産業の誘致を前提にしている地域とは異なる。事実、都田開発区に進出した企業のうち六割強が地元の企業であり、ハイテク化を進めつつある地元企業の多くが進出した。一般機械器具製造業では庄田鉄工と平安コーポレーション、楽器産業では河合楽器製作所、輸送用機械器具製造業ではスズキ、光産業では浜松ホトニクスなど、地元の有力企業の多くがその研究開発部門などを移転させた。業種別では電気機械と一般機械が最も多く、それぞれ十七社に上っている。研究開発分野ではエレクトロニクスや高度メカトロニクスが大きい割合を占めている(表4―19参照)。
表4-19 テクノポリス立地企業の概要 (平成3年3月11日現在)
企業規模 | 大企業 | 17社 |
中小企業 | 51社 | |
本社所在地 | 県外 | 26社 |
県内 | 42社 | |
産業中分類業種 | 電気機械 | 17社 |
一般機械 | 17社 | |
輸送用機械 | 6社 | |
金属製品 | 4社 | |
プラスチック製品 | 4社 | |
非鉄金属 | 1社 | |
その他製造 | 7社 | |
情報サービス | 4社 | |
その他 | 8社 | |
主な研究開発分野 | 光 | 3社 |
高度メカトロニクス | 10社 | |
エレクトロニクス | 17社 | |
新素材 | 6社 | |
バイオテクノロジー | 3社 | |
ファインケミカル | 1社 | |
ソフト開発 | 6社 | |
輸送用機械 | 8社 | |
その他 | 14社 |
土地区画整理事業完工記念誌』浜松市都市討画部
都田地区開発事務所発行、平成5年
【先端産業化】
浜松地域テクノポリスは、ほかのテクノポリスに比べて優れた部分があると同時に、幾つかの課題も抱えている。第一に、地域の九割近くを占める中小企業の先端産業化をどう進めるかという問題である。成熟した産業(繊維、楽器、輸送用機械)に代わって次世代の成長産業を育成するためには、中小企業の新規創業を促し、多数の開発型企業を輩出し、産業の新陳代謝を図る必要がある。ところが、地域の産業集積は垂直分業型で、自社製品の製造を行う中小企業は少なく、部品などの中間財を生産する下請型中小企業が多い。製造業における全事業所数の推移を見ると、昭和六十年の事業所数は五千八百五十社で、十五年後の平成十二年では約二・五割減の四千三百九十五社になっている(図4―27参照)。これを業種別で見ると、繊維工業は約五十九%の減少、輸送機械工業は約七%減少している。一方、電子産業や光産業を含む電気機械器具製造業や精密機械製造業は、一般機械や輸送機械製造業に比べると低い水準にある。(図4―28参照)。従って、地域産業の先端産業化が必ずしも成功したとは言えない。
図4-27 全事業所数の推移(製造業)
図4-28 業種別事業所数の推移
第二に、ものづくり中心で成長してきた浜松にとって、先端産業化を進める上でソフトウエア開発の弱さがある。都田開発区に進出した情報サービス業は四社に過ぎなかった。特に中小企業の先端産業化には人材確保(マンパワー)が重要な意味を持つ。
産業都市浜松がもともと抱えている加工組立工業中心、垂直分業型、低価格量産技術中心といった構造的制約を乗り越えて、多様性に富んだ集積構造、高度かつ広い加工機能と独自の製品開発力を持ち自立的産業都市として発展していくためには、地域経済を支えている多数の中小企業の先端産業化が必要であると同時に、競争的企業が集まって互いに競い合う水平型産業構造をつくり上げていくことが重要であろう。事実、明治以降の浜松の産業発展は、異業種の産業が集積することによってもたらされた歴史がある。将来の産業の在り方もその歴史から学ぶ必要があろう。