表4-20 全製造業に占める三大工業の構成比 (単位:%)
繊維工業 | その他の工業(楽器産業含む) | 輸送用機械工業 | |||||||
事業所数 | 従業者数 | 製造品 出荷額等 | 事業所数 | 従業者数 | 製造品 出荷額等 | 事業所数 | 従業者数 | 製造品 出荷額等 | |
昭和60年 | 21.0 | 10.8 | 6.1 | 6.1 | 13.3 | 15.5 | 12.1 | 23.7 | 34.8 |
平成2年 | 17.1 | 8.3 | 4.3 | 6.2 | 12.2 | 10.5 | 12.7 | 25.7 | 37.0 |
7年 | 14.4 | 6.3 | 2.6 | 6.5 | 9.7 | 9.7 | 14.4 | 30.0 | 42.3 |
12年 | 11.5 | 5.1 | 2.3 | 7.3 | 11.0 | 11.2 | 14.9 | 31.5 | 48.3 |
【自動車産業】
自動車産業は、平成不況下にあっても生産台数を増やし、地域経済を支える大きな柱になっていった。特に、浜松地域に国内の主力工場があるスズキ(平成二年に鈴木自動車工業から社名を変更)は平成十四年に国内生産では過去最高を記録している。スズキが自動車生産を増加させた背景には、「ワゴンR」の成功があった。平成五年、ワゴンRは「力強いスタイル、常識を超える居住空間と多用途性。部品共通化など、新しい軽乗用車の在り方を示唆した」(『新編史料編六』 五産業 史料83)という理由からニュー・カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、軽自動車の大ヒット商品になった。円高と不況の中で大型高級車の需要が落ち込んだのに対し、軽自動車は堅調に伸びたためである。不況下にあってスズキが成長した背景には部品の共通化による徹底したコスト削減の実現があった。ワゴンRは部品の七割を共通化することによってコスト削減に成功した事例である。工場内ではアルト、セルボ、ワゴンRが組み立てラインに順序不同に並び、ライン従事者の作業も伝票も同じで、かつ部品も車種ごとに区別する必要がないというメリットがある(『静岡新聞』平成六年三月二十一日付)。部品の共通化によって大量発注が可能になり、高品質で安価な部品を確保することが出来るようになった。このような経営努力によって、不況期でありながら収益を拡大していった。輸送機械工業の中のオートバイは昭和五十年代後半にピークは過ぎ、その後は減少傾向にあったが、バブル崩壊以降になると、国内生産は内需向けと、250㏄以上の輸出向けに分け、海外生産は125㏄以下を現地で行うようになった。内需向けの生産は減少傾向を続けるのに対し、海外向けの大型二輪車の生産は増えていった。
【工作機械工業】
他方、戦後集積度を高めてきた工作機械工業は国内景気の低迷と輸出の伸び悩みで苦しみ、平成十一年頃には早期希望退職などによって対応する企業が増えていった。しかし、不況感の強い業界内にあって次の二社は独自の対応を探っていった。大手工作機械メーカー・エンシュウ(平成三年に遠州製作から社名変更)は売り上げの五割を工作機械が占めていたが、国内企業の設備投資が低調であるため、比較的好調であるヤマハ発動機関連のバイクや船外機部品の製造にシフトしていった。桜井製作所は売り上げの約三割が工作機械で、その六割を輸出していたが、輸出が伸びず厳しい状況に置かれたものの自動車以外の異業種へのアプローチを強めていった。工作機械業界は景気が回復してくると小型旋盤→小型MC(マシニングセンタ)→中型MC→大型MCの順に受注が増えていくが、回復基調には至っていなかった(『静岡新聞』平成十一年五月十二日付)。