平成二年以降、新たに造成された工業団地は三つに上った(浜松地域テクノポリスは除く)。平成四年にはツルミオートパーツ、平成七年には浜松三新工業団地、平成十二年には浜松西テクノが相次いで建設された。
平成不況下にあっても工業団地の造成が拡大した背景は、第一に輸送機械工業、特に自動車産業の成長があった。円相場は平成七年に七十九円の最高値を付けるが、その後一貫して円安傾向が続いた。そのため平成不況によって国内需要が冷え込むのに対して、輸出が伸び外需依存はより強まっていった。その中心が自動車産業であった。このような状況下にあって、浜松地域はますます輸送機械工業への依存を強めていったのである。第二に、比較的規模の小さい企業ほど工場移転や集団化を望む傾向が強いという現実がある。これらの企業は立地条件の不備から交通問題、公害問題、労務雇用問題などを抱えている。公害問題には周辺住居地に及ぼす振動、騒音、煤煙などがある。また、労働環境が雇用問題に深刻な影を落とすケースも多い。これらの解決策として、多くの中小企業が工場の移転や集団化を熱望していたのである。三つの工場団地の概要は、以下の通りである。
【ツルミオートパーツ】
(1)ツルミオートパーツ 市内で操業していた中小企業五社が公害問題の解決、設備の近代化、経営規模の拡大を目的に工場アパートを鶴見町に建設し、集団化を図った。輸送用機器の金属部品加工を行う企業が入居した。同業種であるため、五社のうち四社は境界の壁を設けず、ワンフロア方式を採用し、相互の機能補完、技術交流などを行って生産性を上げた。
【浜松三新工業団地】
(2)浜松三新工業団地 市内で操業する金属・鋳物製造の五社が三新町に工業団地を造成し進出した。集団化の目的は公害問題、工場の狭隘化を解決し、設備の近代化を図るとともに、異業種交流によって新製品の開発・研究を推進するためである。
【浜松西テクノ】
(3)浜松西テクノ 浜松西テクノは、和地土地区画整理事業の中で自然環境に配慮した職住近接を目指して開発された工業用地に、集団化事業で進出した協同組合である。和地町に進出した企業は半数以上が自動車部品製造業で、そのほか、ガス供給業、輸送業など十三社が入居した。入居第一号は平岡ボデーで、四輪車体のプレス加工・溶接などを手掛け、本社工場と高丘工場を統合して団地内に移転した(『浜松の商工業』平成十九年版)。