第二次世界大戦後の自由貿易体制は、基本的にGATT・ブレトンウッズ体制によって支えられてきた。この体制は、戦前の経済のブロック化に対する反省から生まれたもので、「自由貿易こそが経済を繁栄させる」という考えから自由貿易主義を強く打ち出した。しかし農産物分野においては、貿易の拡大と同時に国内農業を保護する動きがあり、それは農産物の自由化に数々の例外措置を設けて、農業を聖域扱いにする形で続いてきた。
【WTO】
それを一挙に反転させたのが、昭和六十一年に始まったガット・ウルグアイ・ラウンド(以下、UR)と、平成七年のWTO(世界貿易機関)の発足であった。これにより、従来例外とされてきた農業分野においても自由貿易原則を貫くため、加盟国に対する規制が非常に強くなっていった。そのため農業に対する国際化は新しい段階へ突入していった。WTO農業協定は、①農産物において関税を除くすべての障壁を取り払う「例外なき関税化」、②農業への支持価格政策を廃止し、直接所得支払い政策への転換等、を各国へ迫るものであった。このような農業・農産物のグローバル化の背景にはアメリカやEUの思惑があった。アメリカやEUは、自国の農産物過剰問題を解消する手段として農業のグローバル化を主張したのである。
【UR】
UR農業交渉では、農産物の輸出補助金の削減や生産を刺激する国内政策等が議論され、さらに、各国の農産物の輸入数量制限を関税による保護措置に置き換えた上で、関税を次第に引き下げていく方向が検討された。こうしたURでの農業交渉に対して、全国農業協同組合中央会や静岡県農業協同組合中央会は米市場開放阻止の決議を採択した。平成三年五月、浜松市庄内農業協同組合も、次のような決議文を採択している。
【米市場開放阻止に関する決議】
現在進められているガット・ウルグアイ・ラウンドの農業交渉が、一部の農産物輸出国の圧力によって、農業保護の画一的な削減と農産物貿易の自由化のみを追求しようとしている実態に対し、我々は強く憂慮するものである。このような方向で交渉の決着がはかられるなら、それは水田農業のみならず、わが国農業全体がとりかえしのつかない打撃をこうむり、地域経済や住民の食生活・環境・文化にいたるまでさまざまな悪影響が及ぶことは必至である。
世界的な経済・政治の混乱や人口増加問題等のなかで、食料安全保障など農業が果たすさまざまな役割を重視し、最低限の食料自給を確保しようとするわが国政府の提案はますます重要になっている。また世界最大の農産物輸入国として、さまざまな市場開放の努力をしてきたわが国がこのような提案の実現をはかるのは、国民生活の長期的な利益という観点からも、当然の主張である。
よって、政府・国会は、三度にわたる国会決議を遵守し、農業交渉において、これまで通り輸入国の立場を堅持しながら、米市場開放阻止を実現するよう強く求めるものである。
我々は、地域農業の将来にわたる発展を確立するため、組織の総力をあげ、徹底して粘り強く闘う決意である。
以上決議する。
平成3年5月2日
第28回浜松市庄内農業協同組合通常総代会
【MA米】
農協や消費者団体の激しい反対にあった政府は、平成五年のUR農業交渉において、米の例外なき関税化を延期する代償として、米は他品目よりも厳しい、輸入枠を受け入れることになった。URの合意により、わが国は国内の平均消費量の四%(約四十万トン)の米を平成七年度に輸入し、その後毎年〇・八%の拡大で、六年後の最終年である平成十二年には約八十万トン(国内消費量の八%)の米を輸入することになった。主な輸入先はアメリカ、タイ、オーストラリア、中国、ベトナムなどであった。いわゆるミニマム・アクセス米(以下、MA米)の受け入れであった。ここで言うミニマム・アクセスとは最低輸入機会とも言われ、外国に対して、米の最低輸入機会を与えるという意味である。MA米の輸入は平成七年度から始まり、同年度は三十九万八千百トンの米を輸入した。しかし、平成十年には米の関税化受け入れを表明し、平成十一年度から関税化に移行した。そのためMA米輸入は減り、平成十二年には目標が八十万トンであったが、実際は七十七万トンに減少した。
しかし、MA米の国内販売において様々な問題を抱えた。MA米の販売状況(平成七年四月~同二十年十月末)を見ると、約三十七%が加工用で、援助用(約二十五%)、飼料用(約十五%)、主食用(約十%)の順で、在庫(約十%)となっている。MA米は国家管理による輸入販売になっており、出来るだけ高く米菓等の加工業者へ売り渡したいものの、品質が良くないため、政府の希望価格通りには売れず赤字が増加している。ここに、米の輸入自由化と保護のねじれ現象が起きていると言える。