[第二東名の工事開始]

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【第二東名】
 平成元年一月、国土開発幹線自動車道建設審議会は、第二東名(第二東海自動車道)の基本計画を決定した。これを受けて、平成三年六月に浜松市都市計画審議会は、建設省が示した市内ルートを了承した。同年十二月には駿東郡長泉町─愛知県東海市間の二百十六キロメートルの基本計画が整備計画路線に格上げされた。県内のルートは長泉町から引佐町の愛知県境までの百三十四キロメートル、市内のルートは浜北市境の都田町から引佐町境の鷲沢町までの約二・六キロメートルであった。平成五年十一月に建設大臣は日本道路公団に対し長泉町・東海市間に施行命令を出した。これにより翌六年四月から県内の事業説明会が各地で開催された。
 平成六年十一月に第二東名の掛川─引佐間約五十キロメートルを担当する日本道路公団浜松工事事務所が開設され、翌平成七年四月には、県土地開発公社の浜松用地事務所が開設された。平成八年三月には、第二東名の天竜川橋(千五百八十五メートル)と滝沢町と浜北市四大地間の都田川をまたぐ都田川橋(二百六十八メートル)の下部工工事が開始された。浜松トンネル(その後、三岳トンネル)上り線(三千二百メートル)の建設工事は平成九年三月に始まり、TBM(トンネルボーリングマシン)による掘削を開始した。また、平成十二年七月には浜松トンネル下り線(三千二百六十二メートル)の掘削工事が始まった。第二東名と既存の東名とを結ぶ引佐連絡路の引佐第二トンネル(その後、奥山トンネル、上り線千三百四十七メートル、下り線千五百二十八メートル)の建設工事も同十二年から開始された。
 バブル後の不況や財政危機の中にあって、順調とは言えなかったとはいえ工事は進み、平成十三年三月に都田川橋が完成、同十八年三月には天竜川橋が竣工した。また、平成十二年一月には浜松トンネル上り線が貫通、十三年六月には同トンネル下り線が貫通した。なお、平成十三年九月には、第二東名と接続する三ヶ日ジャンクションの工事が開始された。
 
【アクセス道】
 第二東名のインターチェンジ(本線、引佐連絡路を含む)は、浜北市と引佐町に建設されることになったが、それぞれ国道一五二号と国道二五七号を連絡道路とし、関連道路を整備することとなった。例えば、国道二五七号については平成五年十月に国道二五七号浜松・引佐間整備促進期成同盟会が結成され、第二東名のアクセス道として一体的整備促進を決定した。