昭和四十六年二月、浜松、磐田、袋井の三市と磐田郡豊田町は、笠井・袋井線建設促進期成同盟会を結成し、浜松市笠井地区から笠井大橋(仮称)を架設して袋井市に至る延長十六キロメートルの幹線道路を建設する運動を展開した。昭和四十九年十一月に県は浜北大橋と国一天竜川橋の中間地点に笠井大橋(仮称)を架け、一部ルートを変更して袋井市山梨までの十一・二キロメートルを県道の建設予定線として認定した。目的は中西遠地方を結ぶ産業道路の建設と既存の二つの橋の渋滞解消などであった。昭和五十二年度に調査費が計上され、その後一部で整備が進められたものの本格着工には至らなかった。
昭和六十三年七月になって、浜松市都市計画審議会が笠井大橋と都市計画道路とを接続するため計画の変更・追加を答申、九月に笠井大橋以西は都市計画道路・笠井坪井線、磐田笠井線に決定した。平成元年度から橋の下部工や取り付け道路の調査が開始され、平成六年一月二十日に笠井大橋本体の起工式を迎えた。
【かささぎ大橋】
平成六年七月に笠井大橋建設事業は、建設省の国庫補助事業、交流ふれあいトンネル・橋梁事業に選定され、工事の完成に拍車が掛かることになった。こうして、笠井大橋の早期完成と浜松袋井線の整備促進を陳情する期成同盟会の長年の活動が実って、名称をかささぎ大橋(千五十七メートル)と決定して平成九年十一月七日に開通した。