日系南米人の住生活

1096 ~ 1098 / 1229ページ
 日系南米人は、当初は表4―24のように、彼らが就業する業務請負業者や会社で借り上げた民間アパートや会社の寮や社宅に居住する者が多かった。平成四年度、八年度の調査ではそれぞれ八十八・九%、七十六・七%であった。ところが、平成十一年度、十四年度調査では、それぞれ三十五・六%、二十三・九%と低下し、民間アパートや公営住宅への居住が次第に増えていった。その理由は、来日当初の右も左も分からない状況では、就業先の企業の社宅や企業が契約したアパートの方が居住しやすかったが、転職するとなると、これまで住んでいたところを立ち退かなければならなくなった。また、平成四年以降の長引く不況で、企業から解雇される例も出てきていた。そこで、公営住宅や民間アパートへ住み替える日系南米人が増えていった。
 
表4-24 浜松市域の日系南米人の居住形態 (単位:%)

平成4年調査
平成8年調査
平成11年調査
平成14年調査
会社の寮や社宅
34.7
27.7
7.8
3.0
会社契約の借家
  ・アパート
54.2
49.0
27.8
20.9
会社が家賃を一部補助
 する自己契約の借家
3.4
4.9
-
1.3
全部自分負担の借家
4.4
14.1
-
63.9
民間アパート
 公営住宅
-
-
31.1
28.0
-
持ち家
0.7
1.4
1.0
2.2
その他
2.5
2.9
4.1
8.7
無回答
0.4
回答数
406
206
515
230
出典:『浜松市こおける外国人の生活実態、意識調査報告書』平成5年3月、『日系人の生活実態・意識調査96報告書』平成9年3月、『外国人の生活実態意識調査』2000年3月、『浜松市におけるブラジル人市民の生活・就労実態調査』2003年3月より作成

 
 それは、収入証明や連帯保証人の確保、健康保険証の確認などいくつもの難しい問題をこなしながらの住み替えであった(『新編史料編六』 六社会 史料32)。さらに、生活習慣や就業リズムの違いなどから、テレビの大音量や声の大きさ、大人数で遅い時間まで騒ぐといったことも発生し、近所迷惑と感じる大家も多く、引っ越した先でもこのような苦情が出てきていた。
 
【佐鳴湖団地】
 なお、特に公営住宅での生活では自治会活動に参加することが求められた。大手の自動車工場が近所にある佐鳴台三丁目の県営佐鳴湖団地や高丘北二丁目の市営高丘団地でも、日系南米人が多く住むようになっていた。平成九年には、高丘団地に居住している百四戸の内、二十七戸が外国人世帯であった。百四戸は十二班に分かれ、このうち、四つの班で外国人が班長を務めていた。
 また、平成十一年には佐鳴湖団地では百八人の組長(十世帯の代表)の中で初めて外国人が選ばれ、翌年には五人が選ばれた。自治会の活動は、回覧板を回すことや掃除の日時を知らせること、さらに各種の経費の集金などであったが、日本語が分かる日系人のサポートなどもあって、役割を果たしていった。佐鳴湖団地では平成十二年九月と十一月に同団地内の集会場で「外国人世帯と日本人住民の共生・共助の道を探る」ことを目的に、団地内の日系ブラジル人と日本人が共に席を並べて地域の問題を話し合う会合が持たれた。呼び掛け人は地区の地域安全推進員を務めていた人物であった(『静岡新聞』平成十二年九月二十五日付)。一回目の会合の後、「午後十時以降は住人に迷惑となるので静かにしよう」「車は道路に止めないこと」など、団地内のマナーを呼び掛ける看板(日本語とポルトガル語)を団地内の五カ所に設置した。二回目の会合からは市や警察、地元の小中学校のPTA、周辺自治会も参加、ブラジル人は約二十人が出席した。なお、三回目の会合(ふれあいトーク)には市長も参加し、外国人に対し、「日本語とポルトガル語の両方ができる外国人の中から、自治会や学校の橋渡し役となる人を決めてもらえないか」との要望が出された(『読売新聞』平成十三年二月二十七日付)。
 なお、日系南米人が多く住むようになった市営住宅の維持管理業務を行う財団法人浜松市建設公社に、平成十五年四月、日系三世のブラジル人が採用され、入退去時の手続きや相談に訪れる外国人の対応に当たることになった(『静岡新聞』平成十五年四月二十六日付)。