[労働運動の模索]

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【JMIU河合連合支部】
 戦後間もなく発足した河合楽器製作所の労働組合は昭和三十年に全国金属労働組合に所属し、全国金属労働組合河合連合支部として春闘や合理化問題で激しい闘争をしてきた。このような中、同四十三年には労使協調路線の全金同盟河合楽器労働組合が誕生した。この両組合は同四十六年、四十七年には共闘して時限ストを行うこともしてきた。全国金属労働組合が連合に加盟すると、平成元年九月、全国金属河合連合支部は全国金属を脱退し、連合に批判的な組合によって結成されていた静岡金属一般労働組合に加盟した。同時に、平成元年二月に結成されていた全労連系の全日本金属情報機器労働組合(JMIU)に加盟し、その河合連合支部となった(『河合連合支部結成30周年記念誌 歩み』平成三年刊)。全金同盟河合楽器労働組合は連合系のゼンキン連合カワイ労働組合となった。
 平成の長期不況下にあって、河合楽器製作所は平成七年に一部の工場を縮小、閉鎖することを決め、七百人近い従業員を削減する計画を明らかにした。その中には平成八年八月までに中郡工場を閉鎖するという計画も含まれていた。JMIU河合連合支部の人たちは同年四月、「音楽の街浜松からカワイをなくすな!みんなの会」の結成総会を河合楽器製作所の本社内にある厚生年金基金会館で開催した。同会の作成したチラシには「私たちは河合楽器が浜松を代表する大きな楽器メーカーとして、工場を存続させて地域の人の働き場所を増やし、音楽文化の発展に尽くして、音楽の街にふさわしい役割を果たすべき…」と記されていた。同年六月には結成大会と同じ会場で、「守ろうカワイ!がんばれカワイ!支援総決起集会」が開催された。正面にグランドピアノを据え、浜松センター合唱団による激励の演奏もあり、静かな闘志の湧く集会となった。リストラ反対の運動を企業内だけでなく、市民の願いと手をつなぐ世論づくりによって進めていくという創意が見られた。これらの運動により、会社は平成九年一月に工場閉鎖を撤回した(静岡県西部地区労働組合連合『西部地区労連20年のあゆみ』)。