[外国人労働者の労働・労災問題と市民の支援活動]

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【へるすの会 不当差別 人権侵害】
 平成元年十一月、小笠郡大東町の工場で研修生として働いていたフィリピン人女性が、出産を会社に知られると解雇されると恐れ、生んだばかりのわが子を殺害した事件が起こった。これを契機に、平成二年七月に外国人労働者と共に生きる会・浜松(へるすの会)が結成された(「へるすの会ニュースレター」1号、平成二年七月発行)。会の目的は浜松市やその周辺で起きた、外国人であるが故の不当差別や人権侵害などの問題を彼らと共に考え、解決することで、その主な活動は外国人からの困り事の相談と解決のための支援であった。相談の際の電話番号(六カ国語)を記したインフォメーションカードを浜松駅付近で配布し、それが新聞で報道されると会へ相談する人が増えていった(同14号 平成三年八月発行)。会のメンバーはカトリック教会の人々、国労や全逓などで労働運動に携わってきた人たちが中心となり、社会福祉士、医師、弁護士などで、平成三年には会員・賛助会員合わせて百十名近くにもなった。
 
【労働災害 浜松国際交流協会】
 相談内容の一つに労働災害があった。県西部地方の外国人の労働災害は、平成元年には六件であったが、二年には十七件、三年には三十件、四年には五十五件にまで増えていった(同37号。平成五年七月発行)。平成三年十二月、浜松の派遣会社を通して自動車部品工場に勤務していたブラジル人の男性が作業中に右手を機械に挟まれ母指の第一関節部分を失った。その後、仕事を休み通院していたが、会社側からは何も説明がなく、困り果てて相談が寄せられたという。これを受けてへるすの会は派遣業者と折衝し、労災保険の手続きをさせることを約束させた。このほか、イラン人の男性十三人の賃金未払い問題など、様々な問題の相談に乗り、解決のための活動を行った。この会の会員のうち弁護士と牧師が浜松国際交流協会(HICE)の評議員三十人中の二名に選ばれた。HICEは昭和五十七年十二月に浜松市と海外の都市や団体との交流を促進する母体として官民一体で設立され、国際社会に開かれた浜松づくりを理念として積極的な事業活動を展開していた。へるすの会はHICEを通して行政とのつながりを持って独自の支援活動をしていた。
 このような外国人への活発な支援活動をしていたへるすの会の会員宅に、平成四年に脅迫状がファックスで送りつけられるという事件が起こった(『中日新聞』平成四年二月六日付)。会員は、それにも屈せず、中には独自に相談室や事務所などを開設して問題の解決のため奔走した人もいた。